練馬区は住みやすい街として人気がありますが、どのような区なのでしょうか。
練馬大根が今でも特産品で、都心部にアクセス便利な立地ながら自然にも親しめる地域です。
この記事では、練馬区の特徴や歴史、交通アクセスなどについてご紹介していきます。

練馬区の特徴

練馬区は、昭和22年8月1日に誕生した区で、東京23区では最も新しく誕生した区です。
区ができた当時の人口は11万人で、23区内では3番目に人口が少ない状況でした。
ですが、現在では人口は約75万人にのぼり、23区で2番目に人口が多い区へと発展しています。

一方、大都会の東京にあって、練馬大根やキャベツなどの生産が今も行われており、農地面積は23区内では1位の面積を誇ります。

自然が多い

練馬区内には、石神井公園や光が丘公園をはじめ、自然に親しめる公園が多いのも特徴です。
公園と児童遊園の数は、令和5年8月1日現在で697ヶ所と、23区内で最も多くなっています。

住宅街の中に畑があるような場所も多く、都内から野菜の収穫体験に訪れることや採れたての野菜を使った料理が楽しめるレストランも人気を集めています。
高層ビルは少なく、駅周辺にオフィスビルや商業施設などがあるくらいで、あとは都会であることを忘れてしまうような戸建て住宅や低層マンションと畑が広がっているエリアも多いです。

練馬大根の伝承

練馬大根の伝承

練馬区の多くが住宅地で占められており、8割以上を占めます。
次に多いのが、約1割の畑、商業エリアが6%ほど、工業エリアが5%程度です。
このことからも、都会にありながら、農業が盛んなことがわかります。

練馬区で最も栽培量が多いのはキャベツですが、練馬の名前が付いた練馬大根も忘れてはならない存在です。
練馬大根は、一般的な青首大根に比べて長いことから、引き抜く際の作業が大変で栽培する農家が減少していました。

ですが、練馬大根を絶やしたくないといった地元の方や百貨店などの働きかけもあり、栽培する農家が復活しています。

洗練された街並み

練馬区は自然も多く、畑も多いということで、のどかな街並みが広がっているように思えますが、主要駅の周辺は洗練された街並みが広がっており、これも暮らしやすいと人気を集める一つの理由です。

街路樹が整備され、区役所などの行政機関や金融機関、ショッピング施設などが建ち並んでおり、快適な雰囲気です。

古くより高級住宅街として知られる大泉学園駅エリアでは、駅を周辺に再開発の動きもあり、高層マンションも建設されるようになっています。
高層マンションができるということは、それだけ、練馬区の人気が高いということの証とも言えるでしょう。

学生が多い街

練馬区の主要駅には、朝や夕方の時間帯には多くの高校生などの学生で溢れます。
練馬区から池袋や新宿、渋谷にある学校へと向かう学生さんや逆に大泉学園をはじめ、練馬区内にある高校や中学校に通う学生の姿が多いです。
ファミリー層や高齢世帯などが暮らす住宅街が多く、治安もいいので、中高生が歩いていても安心できる街です。

練馬区の歴史

練馬区は、昭和22年に誕生した東京23区内では最も新しい区です。
区名の由来は定かではなく、関東ローム層の赤土を練ったところをねり場と呼んでいた、奈良時代にのりぬまという宿駅があったからなど諸説あります。
練馬区やこのエリアの歴史について見ていきましょう。

古くから人が暮らしていた地域

現在の練馬区があるエリアに人が暮らし始めたのは、約3万年前の旧石器時代と言われており、それを紐づける遺跡が区内からも発見されています。

14世紀半ば頃になると、荒川河口域で勢力を伸ばした、豊島区の由来になったとも言われる豊島氏が石神井川に沿って領地を広げてきました。
豊島氏は、練馬城や石神井城を築くなど、練馬の地でも大きな勢力となり、地域を支配していました。

1477年になると豊島氏は太田道灌との争いに敗れて失脚します。
練馬の地は豊島氏から太田氏へ、さらに鎌倉時代には北条氏の勢力下に置かれるなど、歴史の教科書に出てくるような人たちによって支配されてきました。

その後、江戸時代になり、徳川幕府が政権を握ると、練馬の地は農村として発展を遂げていきます。
多くの人が集まる江戸市中に農産物を供給する一大近郊農村となり、大根をはじめ、ゴボウや芋などを栽培して出荷していました。

中でも、現在でも伝統野菜として栽培が続けられている練馬大根は、徳川家にも献上されたと伝えられています。
現在はほぼ暗渠化している千川上水は、徳川幕府によって元禄9年(1696年)に開発された上水道です。
当時の練馬の農業には欠かせない水資源となり、これを使って江戸の街に供給する食材を栽培していました。

明治時代から戦後

江戸幕府が倒れ、明治時代に入り、明治11年(1878年)には郡区町村編成法が施行され、現在の練馬区の大部分が北豊島郡へと編入されます。
大正12年(1923年)に関東大震災が起こり、東京の下町エリアが大きな被害を受けると、住む家を失った人たちが練馬をはじめとする東京西部へと移住してきました。

これにより、練馬エリアの人口が増えていきます。
そして、昭和7年(1932年)になると、東京市が35区制となり、練馬エリアは板橋区に編入されることになりました。
第二次世界大戦を経て、終戦後の昭和21年(1946年)に、練馬地域の町会長や区会議員、各種団体長などが集まって全員協議会を開催し、練馬区の設置が決議され、昭和22年に練馬区が誕生します。

アニメの聖地

練馬区は、アニメの発祥の地、アニメの聖地としても知られています。
なぜかというと、日本で最初の劇場用長編アニメが、練馬区の大泉にある東映動画(現・東映アニメーション)で制作されたためです。

昭和33年に公開された「白蛇伝」を皮切りに、アニメ制作所があった練馬区には、多くのアニメーションの映画監督や漫画家などが集まってくるようになります。
現在でも、練馬区内にはアニメ関連事業者が100社以上集まっていると言われており、アニメ制作の原点であり、その伝統が受け継がれています。

練馬区の交通アクセス

練馬区内には西武池袋線、西武新宿線、東武東上線、都営大江戸線が通り、相互直通運転により地下鉄有楽町線、地下鉄副都心線、東急東横線、みなとみらい線もダイレクトで使えるのが便利です。
池袋や新宿、渋谷といった都内の主要なオフィス街をはじめ、横浜や埼玉方面へのアクセスもスムーズです。

ビジネスでの移動はもちろん、通勤もしやすいエリアと言えます。
道路面では大泉JCTより東京外環自動車道を使って埼玉県や千葉県エリアへとアクセスがしやすく、練馬JCTから関越自動車道を使えば、群馬県をはじめ、新潟県までアクセスができます。

練馬区のオフィス賃料相場

練馬区の賃料相場の坪単価は20坪~30坪のオフィスで13,000円、30坪~50坪のオフィスで20,000円、50坪~100坪のオフィスで13,000円、100坪~300坪で13,000円前後となっています。

最寄駅や駅からの距離、周辺環境やオフィスビルの築年数や規模、設備などによっても変動しますので、確認が必要です。

まとめ

練馬区は東京23区内にありながら、伝統的な練馬大根をはじめ、キャベツの生産など農業が盛んで、自然も残る地域です。
公園なども多く、生活関連施設も豊富で暮らしやすいと人気の区です。
暮らしやすい理由として、鉄道網も充実していることも挙げられます。

池袋や新宿、渋谷に出やすいので通勤やビジネス移動にも便利です。
落ち着いた環境で仕事ができ、交通アクセスに優れた練馬区にオフィスを構えるのはいかがでしょうか。

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