中川は足立区にあり、葛飾区の亀有と接するエリアです。中川という河川に面するエリアであることから、地域名がついています。

この記事では、東京都足立区中川の特徴や歴史をはじめ、交通の便や賃料相場などについて見ていきましょう。

中川の特徴

足立区中川は、東は中川、西は葛西用水親水水路、北は補助第269号線に接しており、南は葛飾区に隣接している区の境にある地域です。

中川は、荒川や利根川の本流であった川で、一級河川です。足立区中川エリアは、中川の水運や水を利用しながら、発展してきた歴史があります。

現在の足立区中川の南側には、JR常磐線が東西に走っており、最寄り駅は葛飾区に属する亀有駅です。中川エリアに鉄道駅はありません。

さまざまな顔を持つ中川

中川は、古くから残る木造住宅の密集エリアと、昭和の高度成長期の人口増加で建てられた都営アパートがある地域があります。

さらに、亀有と接するエリアで、工場跡地を開発して建てられたマンションや複合施設のある地域など、エリアごとにさまざまな顔を持つのが特徴です。

また、環七通りの沿線上には、流通業務施設が建ち並ぶなど、幹線道路の便利な物流を生かした施設が建ち並んでいます。

中川の住宅街エリアは、今でも銭湯があるほか、地元の方に人気の飲食店も点在しています。買い物に便利な比較的大きなスーパーも多いので、生活の面では便利です。

中川の河川敷には、サイクリングロードが整備されるなど、自然を生かした憩いの場づくりも進められています。

中川の歴史

足立区中川は、現在は一級河川に指定されている、中川の舟運や水を利用しながら発展を遂げてきた地域です。地域名にも河川と同じ名前がつくなど、中川とともに歩んできました。
どのような歴史を持つ地域なのかを見ていきましょう。

河川との深い関わり

中川流域は、現在でも洪水のリスクが高い地域に位置付けられ、標高10m以下の低い地域が多くを占めています。地形から、古くより洪水に悩まされてきた地域でした。

中川の支川には、大落古利根川、元荒川という名称がついていますが、江戸時代初期まで中川は、利根川や荒川の本流であった川です。江戸時代初期に利根川の東遷事業が行われ、本流が移動されます。

流量が減った旧流路は、用水路や排水路として利用されるようになり、葛西用水と名付けられました。葛西用水は、現在の埼玉県羽生市本川俣から利根川の水を取り入れ、東京都足立区まで続く全長約40kmにわたる用排水路です。

江戸幕府が誕生するのと前後した1600年初頭に、関東代官伊那氏一族が開設したと伝えられています。葛西用水は、現在でも中川左岸一帯のかんがい用水に使用されており、流域の発展を支えるのに役立ってきました。

葛西用水と、1700年代中期に開かれた見沼代用水などの用排水水路が開発されたことで、流域一帯は新田開発ができるようになりました。利根川東遷事業に加えて、荒川の西還事業が行われたことにより、中川と綾瀬川は大河川から切り離されることで、洪水の危険が軽減されています。

それ以前は河川が蛇行を繰り返す低湿地であったのが、100万人もの人が暮らす江戸を支える、江戸の米倉へと変貌を遂げていったのです。

中川の暮らし

当時の中川エリアは、集落の多くが河川の中川に沿った地域にあり、自然堤防を利用しながら洪水のリスクを軽減しつつ、舟運を利用した生活を送っていました。

中川に暮らす人たちは、河川との深い関わりのなかで生活をしてきた歴史があります。そのため、地域名が中川であるだけでなく、町名にも「川」や「水」にちなんだ名称が多く残されており、いかに川や水とともに生きてきたかが分かります。

工場地帯としての中川

明治時代に入ると、河川としての中川の水運や工場用水が呼び水となり、工場が増えていきます。なかでも、レンガ産業が盛んとなり、荒川を中心に中川、綾瀬川沿いにレンガ工場が増えていきます。

大正時代には、都内屈指の工業地を形成しました。しかし、大正12年(1923年)に関東大震災が起こると、レンガの需要がなくなり、工場が次々に閉鎖されていきました。

昭和に入り、昭和12年(1937年)に日中戦争が起こると、軍需産業が一気に勢いを増し、足立区内にも大きな工場が続々と進出してきます。

隅田川や荒川、中川、綾瀬川の沿岸には、製鉄工場をはじめ、戦車工場などの重車両工場、精密工場や化学薬品工場などの軍需工場が集まってきたのです。
その理由は、中川をはじめとする川の舟運が、重量運搬に役立ったからです。これらの軍需工場は、第二次世界大戦の敗戦により姿を消しました。

戦後の中川

戦後も中川は水運に使われていましたが、現在の中川エリアは住宅街が多くを占めます。また環七が通ったことで、環七通り沿いは流通業務施設が建ち並び、高度利用が進んでいきました。

中川1丁目~3丁目エリアは木造住宅が密集しており、道路の幅も狭く、昔ながらのままです。土地区画整理事業が未実施のエリアで、防災上の観点から今後の整備が課題です。

足立区では、道路整備など都市基盤の整備や建物の不燃化を進めることで、安全で住み良い住宅地形成を目指しています。中川4丁目エリアには、昭和45年~48年のベビーブームの時期に、都営中川四丁目アパートが建てられました。現在は老朽化が進み、公共住宅の建替えが推進されています。

環七沿いには、流通業務施設が立地し、土地の高度利用が進んでいます。さらに、流通業務施設など中高層建物の立地を誘導し、沿道建物の共同化や不燃化、緑化の推進、災害発生時の延焼遮断地帯の形成、環七通りの交通騒音の防止を図る計画が立てられているのです。

葛飾区亀有と接する中川の南部エリアにおいて、土地区画整理事業が完了した地域では、都市基盤の整った市街地が形成されました。葛飾区と連携し、大規模工場跡地に大規模マンションと、複合型の大規模商業施設が整備されています。

また、葛西用水親水水路と、サイクリングロードの中川緑道が整備されるなど、エリアに緑を増やして維持する取り組みも行われています。

中川の交通アクセス

足立区中川の最寄り駅は葛飾区に入りますが、JR亀有駅になります。亀有駅からは、常磐線の各駅停車が停まり、取手駅から北千住駅を結んでいます。

千葉県や茨城県ともつながっているので、これらの方面から通勤する方には便利です。また、主要ターミナル駅である北千住駅までは、2駅です。

北千住駅まで出れば、つくばエクスプレスをはじめ、東京メトロ千代田線と日比谷線、東武伊勢崎線などに乗り換えられます。

千代田線に乗り換えれば、大手町駅や国会議事堂前駅、赤坂駅や表参道駅などのオフィス街にスピーディーに出やすいです。

日比谷線に乗り換えると、上野駅や秋葉原駅、茅場町駅、八丁堀駅、銀座駅をはじめ、日比谷駅、霞ヶ関駅や虎ノ門ヒルズ駅、六本木駅などのオフィス街や官公庁街にスムーズに出られます。

亀有駅はターミナル駅である北千住駅にすぐであり、通勤にも使いやすいので、中川でオフィスを構える場所が駅から近ければ、交通に不便はありません。

中川のオフィス賃料相場

中川の賃料相場の坪単価は、20坪~30坪のオフィスで12,000円前後、30坪~50坪のオフィスで19,000円前後、50坪~100坪のオフィスで20,000円前後、100坪~300坪で8,000円前後となっています。立地や駅からの距離や周辺環境、オフィスビルの築年数や規模、設備などによっても変動するので、確認が必要です。

まとめ

足立区中川は、中川の水運や水を利用しながら発展してきた地域です。現在は住宅街を中心に、環七沿線には流通業務施設が建ち並んでいます。中川に鉄道駅はありませんが、隣接する葛飾区のJR亀有駅が使えます。

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