滝野川と聞いて、どのあたりかすぐに分かるでしょうか。
地縁がある方や、桜の名所として知られる飛鳥山などに行ったことがある方なら、ピンとくるかもしれません。
この記事では、東京都北区にある滝野川の街の特徴や歴史をご紹介していきます。
目次
滝野川の特徴
滝野川は、どのような地域なのでしょうか。現代の滝野川の特徴を見ていきましょう。
風光明媚な場所
滝野川は、江戸時代に紅葉の名所として知られ、歌川広重の錦絵にもその美しさが描かれています。滝野川界隈には、桜の名所として有名な飛鳥山をはじめ、音無親水公園などの公園も多く、自然と触れ合えるスポットが豊富です。
滝野川には、全国的にも珍しくなった路面電車が今も走っており、のどかでレトロさを感じる光景が広がっています。特に、路面電車に揺られながら眺める春の桜や秋の紅葉は、綺麗です。
下町風情が感じられる住宅街
滝野川にJRの駅はなく、大型商業施設などがあるわけでもありません。しかし、決して郊外ではなく、山手線内にある都心に広がるエリアです。
近隣には、JR山手線の巣鴨駅や大塚駅、池袋駅などもあり、山手線のなかにあるエリアでありながら、どこか昭和レトロな雰囲気が残されています。マンションも増えてきましたが、古くから建ち並ぶ一戸建ても多く、高齢者世帯や子育て中のファミリー層などが暮らしています。
また、個人商店やスーパーがあるほか、すぐ近くの王寺駅に出ると飲食店なども充実しており、不便さはなく暮らしやすい地域です。バス路線なども充実していますが、滝野川エリアを歩くと、自転車で買い物や子どもの送迎などをする地域の人の姿がよく見かけられます。
休日になると、滝野川界隈の公園は親子連れで賑わうほか、桜の季節などには遠方からも都営バスや都電荒川線を使って、花見に訪れる人で賑わいます。
文教エリア
滝野川と接する北区中里には、東大合格者数が多いことで有名な名門男子校の聖学院中学校、高等学校と女子聖学院中学校・高等学校があります。
キリスト教教育を理念に掲げる学校であるとともに、お受験でも人気の進学校です。
こうした学校があることから、滝野川は文教エリアでもあります。
滝野川の歴史
滝野川の歴史は深く、江戸時代には錦絵画家として有名な歌川広重の名所江戸百景「王子瀧の川」にも描かれています。当時は紅葉の名所として知られ、秋になると紅葉狩りに訪れる人で賑わっていたと伝えられています。
滝野川の地名の由来
滝野川は、このエリアでの石神井川の呼び方です。
板橋方面から流れてくる石神井川は、このエリアの川底が急に深くなっており、渓谷状で水流も速くなります。そのため、この周辺に暮らす人たちが石神井川ではなく、滝のように流れることから、滝野川と呼ぶようになったといわれています。
明治時代の滝野川
江戸時代に紅葉の名所として人気だった滝野川は、明治時代に入ると、雷管を製造する東京第一陸軍造兵廠滝野川工場が建てられました。
王子や十条など、近隣エリアにも軍需工場が続々と建てられ、このエリア一帯が銃砲・弾薬をはじめ、軍用双眼鏡などの軍需機器を製造する、一大軍需工業地帯となった歴史があります。
当時は、現在のような石油などを使った動力源がなかったので、工場を動かす主な動力として水力が使われていました。そのため、滝野川など水車を設けられる川の近くが、工場の立地として選ばれたのです。
紡績所や醸造試験所などが続々と開設されては移転
江戸時代末期の1864年、江戸幕府は大砲製造のために、滝野川反射炉を建設しました。この反射炉は動力用水車であり、千川上水から分水を引いたもので、当時の技術の粋でした。
しかし幕府が滅亡し、明治維新が起こったことから、利用されることはありませんでした。この反射炉に目をつけたのが、民間初の紡績工場となった鹿島紡績所です。
水車の動力を利用し、1872年(明治5年)に操業をスタートさせました。1888年(明治21年)になると、シェアを拡大していた東京紡績に吸収合併されることになり、滝野川工場は閉鎖されてしまいます。
その後に紡績所の跡地にできたのが、大蔵省が管轄する醸造試験所です。1904年(明治37)年から醸造の研究や品質の改良をはじめ、醸造技術を伝える講習なども行われていました。
戦後になると所管が替わり、1959年(昭和34)に国税庁の所管となりました。1995年(平成7)年になると、醸造試験所の主な機能が東広島市へ移転されてしまいます。
跡地は、2006年(平成18年)に、醸造試験所跡地公園として整備されました。醸造試験所跡地にあった建物は、2014年(平成26年)年に、旧醸造試験所第一工場として国の重要文化財に指定されています。
住宅街の形成
工場ができれば、そこに働く人たちが集まり、周辺に住む場所も必要になってきます。それまでの滝野川は、川の周囲に農村地帯が広がるような場所でした。
しかし、工場の建設とともに都市化が進んでいきます。現在のように、気軽に通勤できるような交通インフラも整っていないため、滝野川は工場ができたのをキッカケに、住宅街が形成されていきました。
各地から仕事を求めて集まってくる工員さんや、その家族が暮らす住宅であるため、高級住宅街の邸宅といった感じではなく、隣同士が密接する一戸建てなどが多く集まっているのが特徴です。
現在はマンションなども増えていますが、昔の歴史を感じさせるような密集した一戸建て住宅群も、多く残されています。
文教エリアになった歴史
聖学院の男子校と女子高ができたのは、明治時代に遡ります。1903年(明治36年)に宣教師ハーヴェイ・ヒューゴ・ガイ博士が、当時の東京府北豊島郡滝野川村字中里に用地を購入して、校舎の建築をはじめました。
校舎が完成するまでの間、ハーヴェイ・ヒューゴ・ガイ博士は滝野川に構えた自宅で、学校関係者や神学生のための日曜礼拝や祈祷会を開催するようになります。
そして、1904年(明治37年)9月、校舎が完成して授業がスタートすると同時に、自宅で行っていた祈祷会などの場所も聖学院神学校内に移転され、滝野川基督(キリスト)教会が設置されることになりました。
現在でも、この地に滝野川教会をはじめ、聖学院中学校・高等学校、女子聖学院中学校・高等学校があり、長い歴史を刻み続けています。
滝野川の交通アクセス
滝野川には、都電荒川線(東京さくらトラム)の滝野川一丁目駅があります。都電荒川線は、早稲田大学がある早稲田駅から東池袋駅や大塚駅、西巣鴨駅などを通り、王子駅、荒川区を巡って町屋駅や三ノ輪橋駅まで行く路面電車です。
途中駅から、JR線や東京メトロ地下鉄線などに乗り換えられます。滝野川の立地によっては、JR京浜東北線の王子駅や、東京メトロ南北線の西ヶ原駅も徒歩圏です。
また滝野川エリアは、バスの便も充実しています。
池袋方面から足立区の西新井駅までつながる都バスをはじめ、北区内を低コストで巡回できるコミュニティバスなども通っているので、バスでの移動もスムーズです。
滝野川のオフィス賃料相場
滝野川の賃料相場の坪単価は、10,000円前後~12,000円前後です。最寄り駅や停留所、駅や停留所からの距離、立地や周辺環境をはじめ、オフィスビルの築年数や規模、設備や広さによっても変動するので、確認が必要です。
まとめ
滝野川は桜の名所である飛鳥山に近く、音無親水公園もあるなど、都心部にありながら自然豊かな場所です。下町風情のような庶民的な雰囲気が残る場所で、暮らしやすいです。
都電荒川線が通るほか、路線バスやコミュニティバスが通っており、交通の便も悪くありません。