烏山といわれて、ピンと来ない方も多いでしょう。
しかし、千歳烏山といわれれば、聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
烏山は、千歳烏山駅を最寄り駅とする世田谷区の街です。どのような特徴や歴史があるのか、見ていきましょう。
目次
烏山の特徴
烏山は世田谷区の北西部に位置するエリアで、東西に京王線が通り、都心部へのアクセスも便利なことから、ファミリー層を中心としたベッドタウンとして成長してきました。
烏山エリアのほぼ中央にある千歳烏山駅周辺は、商業地区として賑わいがある一方、区民農園や収穫体験ができる農園があるなど、緑が豊かでのどかな雰囲気も持つ街です。
庶民的で暮らしやすい街
世田谷の住宅街というと、成城や上野毛の邸宅街がイメージされることも多く、高級住宅街としてハードルが高いと思われることが少なくありません。
しかし、烏山は庶民的な雰囲気が漂い、成城のように地価やマンション価格も高くないので、暮らしやすい街です。
千歳烏山駅から新宿駅まで20分ほどの立地で、都心部への通勤や通学もしやすいといえます。
公園や自然に親しめる場所が多いなど、子どもをのびのび育てられる環境があることから、ファミリー層に人気があります。京王線沿線には明大前駅もあるため、学生が暮らすワンルームの賃貸マンションなどもあり、世代を超えて暮らしやすい街です。
買い物や飲食も便利
千歳烏山駅周辺は商業地区となっており、さまざまなジャンルのお店や飲食店がそろっています。
生鮮食品など、食材の品ぞろえが豊富なスーパーマーケットや専門店をはじめ、日用品を扱うお店やドラッグストア、100円ショップなどもあります。
アパレル系のお店やインテリア雑貨などを扱うお洒落なお店も多いので、マイホームを彩るアイテムも近場で手に入れることが可能です。
焼き立てのパンを提供するベーカリーや惣菜店、弁当店などテイクアウト系のお店はもちろん、飲食店の種類も多彩です。
家族みんなで楽しめるイタリアンや回転寿司、ラーメン店などをはじめ、ママ友とランチが楽しめるお洒落なカフェ、子ども連れでも快適に楽しめるレストランもあります。
仕事帰りに気軽に立ち寄れる、定食屋や居酒屋などもそろっています。
公園や施設が充実
烏山は、古くは農村地帯だった緑が残る環境を生かし、区民農園やレンタル農園などもあり、家族やご夫婦で野菜栽培などを楽しむ方も少なくありません。
烏山周辺には、芦花公園をはじめ、文豪の徳冨蘆花が暮らしていた邸宅の跡地を整備した、蘆花恒春園や世田谷文学館があります。
自然や歴史、文化などに親しめるスポットが充実しています。休日はわざわざ都心に出たり、遠方にレジャーに行ったりしなくても、近所でゆったり過ごすファミリーも多いです。
千歳烏山駅前には烏山区民センターもあり、行政手続きなどもスムーズに済ませられるのも便利です。
烏山の歴史
烏山は、どのような歴史をたどってきたのでしょうか。
地域の発展の歴史を見ていきましょう。
京王線開通による住宅街化の歴史
烏山一帯は、明治時代まで千歳村と呼ばれ、農村地帯だったといわれています。明治時代の終わりの明治43年(1910年)に、京王電鉄の前身となる京王電気軌道株式会社が発足し、大正2年(1913年)に現在の京王線の笹塚駅から調布駅までが開通しました。これに伴い、烏山エリアにも烏山駅が開設されます。
当時は烏山駅でしたが、これは現在の千歳烏山駅となる駅です。京王線が開通し、大正5年(1916年)に新宿駅まで開通すると、烏山は郊外住宅地の1つとして開発が進められ、次第に人口が増えていきます。
住宅街化は進んでいきましたが、農地がすべて失われたわけではなく、現在でも農地が残されるなど緑豊かな環境が残されています。
寺町の形成
烏山には烏山寺町と呼ばれる、お寺が集まる地域があります。古くからこの地にお寺が集まっていたわけではなく、キッカケは大正12年(1923年)に発生した関東大震災です。
関東大震災では人口が集中し、建物が密集していた下町エリアは、地震によって発生した火災で焼け野原と化しました。これに対して東京の西部エリアはまだ住宅も少なく、未開拓の土地も多かったため、大きな被害はありませんでした。
そこで、関東大震災で焼け出された浅草や築地にあった寺院が、烏山の北部エリアに集団移転してきたのです。この当時の烏山北部エリアは住宅も建っておらず、ススキが生い茂る荒地でした。
多くの寺院が一気に移転したことから、地域の方からは烏山寺町と呼ばれるようになります。現在の北烏山2丁目から6丁目エリアを中心に、22とも26とも伝わる多くの寺院が集まりました。お寺が連なる通りは、寺町通りと名付けられています。
現在でも、当時移転してきたお寺が残り、厳かな雰囲気に包まれています。そのため、いつしか世田谷の小京都と呼ばれるようになりました。神社仏閣が多い京都の街になぞらえたもので、心洗われる散策スポットとして親しまれています。
朝や夕方、休日などにウォーキングをすることを日課にしている地域の方や、遠方から訪れる方も少なくありません。
徳富蘆花が好んだ地域
烏山の近くには、数々の名作を残した小説家の徳富蘆花が移り住んだ、邸宅の跡地が残されています。徳富蘆花とその愛妻である愛子夫人は、今でも都心である東京の青山高樹町に暮らしていたといわれています。
しかし明治時代の終わり頃に、土に親しむ暮らしがしたいと思い立ち、まだ京王線も開通しておらず、草野原が広がっていた千歳村粕谷に土地を求めました。
2人の自宅を恒春園と名付け、昭和2年9月18日に徳富蘆花が亡くなるまでの間、約20年の歳月を妻と2人仲睦まじく、晴耕雨読の生活を送っていたと伝えられています。徳富蘆花が亡くなって10周年忌にあたる昭和11年に、愛子夫人が家屋をはじめ、耕地などの邸宅地のすべてを東京市に寄贈しました。
東京市では愛子夫人の意向を反映し、昭和13年には建物の保存を維持しながら、公園として公開しています。戦争でも焼け残った建物ですが、老朽化が進み、昭和58年~60年にかけて改修工事が行われました。
改修工事を経た昭和61年3月10日には、徳冨蘆花旧宅として、東京都の史跡に指定されています。
烏山の交通アクセス
烏山の最寄り駅は、京王線の千歳烏山駅です。
千歳烏山駅から新宿駅まで9駅なので、新宿駅でJR山手線や湘南新宿ラインをはじめ、東京メトロ丸の内線、都営大江戸線や都営新宿線などに乗り換えられます。ビジネスでの移動や通勤もスムーズです。
新宿駅では、高速バスのターミナルがあるほか、成田空港に直行する快速の鉄道なども走っているので、出張などもスムーズです。
京王線は、調布駅や府中駅、八王子駅など東京西部のベッドタウンともつながっているので、通勤もしやすく、人材採用にも役立ちます。
道路面では、甲州街道や環八通り、首都高新宿線の高井戸ICにも近いので、車での移動も便利です。道路網も良いため、千歳烏山や烏山エリアは、京王バスなどの路線バスの便も充実しています。
烏山のオフィス賃料相場
烏山の賃料相場の坪単価は、20坪~30坪のオフィスで22,000円、30坪~50坪のオフィスで17,000円、50坪~100坪のオフィスで18,000円、100坪~300坪で12,500円前後となっています。
駅からの距離や立地、周辺環境、オフィスビルの築年数や規模、設備などによっても変動するので、確認が必要です。
まとめ
烏山は京王線の千歳烏山駅があり、新宿駅にも出やすく、通勤やビジネス移動に便利なエリアです。ショッピング施設や飲食店が充実しており、庶民的な雰囲気が漂って暮らしやすい街なので、オフィスを構えても快適な環境が整います。
住宅街としても人気なので、職・住近接の暮らしもおすすめです。