江東区は東京のベッドタウンであるとともに、埋め立て地を中心にした近未来都市など、多面的な顔を持つ地域です。
大きく3つのエリアに分けられます。
深川八幡祭りや深川めしなど、江戸時代から続く伝統や文化が息づく下町の深川エリア、亀戸天神社、砂町商店街、大型商業施設があり、庶民的な雰囲気で賑わいある住宅街の城東エリア、豊洲や有明など近未来都市の臨海部エリアです。
この記事では、江東区の城東エリアの特徴や歴史について、ご紹介していきます。
目次
城東の特徴
江東区の城東エリアは、町名でいうと、亀戸や南砂、東陽町といった庶民的な雰囲気のある住宅街が広がるエリアです。
どのような特徴がある地域なのか、見ていきましょう。
亀戸天神があるエリア
亀戸天神は、1662年に創建された歴史ある神社で、学問の神様として名高い菅原道真が祀られています。
菅原道真が愛した梅の花の咲く時期には、合格祈願に訪れる受験生やお礼参りに訪れる受験生で賑わいます。
亀戸天神は特に藤が有名で、亀が泳ぐ池と藤棚のコントラストは見事です。
藤の花が見ごろを迎えるゴールデンウイークの時期は、多くの花見客が訪れる東京随一の藤のスポットです。
亀戸駅から亀戸天神へと向かう通りには、参拝客が立ち寄る老舗の飲食店や、亀戸土産として有名なくずもちなどを売る、和菓子店などが建ち並んでいます。
亀戸十三間通り商店街や亀戸五丁目中央通り商店街があり、観光客や地域の買い物客で賑わいます。
歴史と伝統が息づき、下町風情が残るエリアです。
商業施設が充実する南砂町
南砂町は砂町銀座商店街をはじめ、2つの大型商業施設があるなど、ショッピングスポットが充実しています。
ファミリー層に人気の住宅街で、自転車で買い物に訪れる地域の方で賑わいを見せます。
子どもたちの姿も多く、小さな子ども連れのファミリーから、古くから暮らすシニア世代まで、多くの人が暮らすエリアです。
生活関連施設などが充実する東陽町
東陽町は、オフィス街と住宅街がミックスされたようなエリアです。
ビジネスホテルや飲食店をはじめ、24時間営業の総合スーパーマーケット、図書館やスポーツセンター、美術館などを楽しめる施設なども充実しています。
駅周辺には生活関連施設が充実しているので、住みやすい地域です。
城東の歴史
では、江東区の城東エリアは、どのような歴史をたどってきたのでしょうか。
歴史を振り返っていきましょう。
江戸幕府による開発
現在の城東エリアがある場所は、その昔は海か干潟が広がっていました。
江戸幕府の誕生で江戸の町が開かれていくと、行徳で製造されていた塩を江戸城へと運ぶために、運河を建設することになります。
これにより、干潟の開発がはじまりました。
広大な浅瀬が広がり、安全に舟運を行うためには、大きく迂回する必要がありました。
徳川家康による小名木川の開削により、次第に物流の拠点となり、発展を遂げていきます。
明治時代には工場地帯へ
江戸幕府が倒れて明治時代に入ると、開拓された小名木川沿いには、明治政府の富国強兵と殖産興業政策により、工場が建てられるようになります。
現在の砂町周辺にあたる砂村には、鈴木製糖所が設立されました。
明治23年(1890年)には、日本初となる精製糖(白砂糖)の製造に成功し、明治25年(1892年)からは本格的な製造をスタートします。
この鈴木製糖所は、その後にいくどもの合併などを繰り返し、現在も販売されている、ばら印で有名な砂糖を製造する日本有数の製糖会社になりました。
戦後もしばらくは工業地帯として栄えていましたが、都心に近接した便利な立地から都市化が進みました。
現在は工場がほとんどなくなり、集合住宅や学校、大型商業施設などが建ち並ぶエリアになっています。
村から町そして区へ
工場地帯として発展していったエリアは、明治22年(1889年)の町村制施行に伴い、亀戸村、大島村、砂村になります。
大正時代には、路面電車が開通して都市化も進んでいき、亀戸町、大島村、砂町となりました。
昭和に入り、昭和7年(1932年)になると東京市に編入され、3つの町をあわせて城東区になります。
これが現在でも、このエリアを城東と呼んでいる由縁です。
戦後の昭和22年(1947年)に、東京市にあった深川区と城東区が合併され、現在の江東区ができました。
そのため江東区では、現在でも戦前の区分けに基づき、深川エリア、城東エリア、そして戦後新たに誕生した豊洲・有明エリアと、区内を大きく分けてエリアづけしています。
砂町銀座商店街の誕生
砂町が東京市に編入されて、城東区の一部となった昭和7年(1932年)には、当時あった商店会で記念式典が行われます。
そこで、砂町の町長であり、城東区の誕生により町長から城東区選出市議になった人物が、砂町銀座と呼ばれるような発展を望むと祝辞を述べました。
これをきっかけに、商店会の名称を砂町銀座にしました。
戦前は30軒ほどの商店街でしたが、空襲により焼け野原となってしまいます。
しかし、戦後の復興とともに1950年代に大きく成長を遂げ、1963年頃にはほぼ現在の形が形成されました。
高度成長期とともに賑わいを見せ、1970年には周辺に大規模団地やマンションが増えたことで、多くの買い物客が訪れる大規模な商店街になります。
現在は670mあまりの長さがあり、約180店舗のお店が集まり、日々買い物客で賑わっています。
亀戸の歴史
亀戸は、古くより亀戸天神の門前町として賑わいを見せていましたが、戦後の高度経済成長期には工場地帯になりました。
日立製作所や、第二精工舎(現・セイコーインスツル)の工場が設置されていました。
成長が目覚ましい時代には、都市部の工場では手狭になり、より広い敷地を求めて郊外へと移転してしまいます。
工場の跡地には、公園や大型商業施設をはじめ、団地や学校なども続々と建てられ、住宅街として発展していきました。
城東の交通アクセス
城東エリアは立地にもよりますが、東京メトロ東西線の南砂町駅や東陽町駅、JR総武線の亀戸駅が主な最寄り駅になります。
東京メトロ東西線を使えば、茅場町駅や日本橋駅、大手町駅、竹橋駅、九段下駅、飯田橋駅など、オフィス街にダイレクトアクセスできるので、営業や商談などビジネス利用にも便利です。
また、中野駅など東京の西部方面、葛西駅や浦安駅、行徳駅や西船橋駅など千葉方面ともつながっています。
都心に通う人のベッドタウンとして人気のエリアと接続しているため、通勤に便利で、人材採用にも役立ちます。
JR総武線は、千葉方面と東京西部までをつなぐ路線です。
秋葉原駅や新宿駅にダイレクトアクセスができ、ビジネスの移動にも便利です。
一方、市川駅や西船橋駅、津田沼駅、幕張駅、千葉駅など、都心に通勤する人たちのベッドタウンや、吉祥寺駅や三鷹駅など東京西部の住宅街ともつながっています。
亀戸駅にオフィスがあれば通勤しやすく、人材採用にも有利に働きます。
城東のオフィス賃料相場
城東の賃料相場の坪単価は、20坪~30坪のオフィスで16,000円前後、30坪~50坪のオフィスで18,000円前後、50坪~100坪のオフィスで12,000円~16,000円前後です。
100坪~200坪で13,000円~14,000円前後、200坪以上のオフィスで11,000円~16,000円前後となっています。
最寄り駅や駅からの距離、立地や周辺環境、オフィスビルの築年数や面積、設備などによっても変動するので、確認が必要です。
まとめ
城東エリアは、江東区の亀戸、南砂、東陽町エリアを指します。
江東区が誕生する前に、このエリアが東京市城東区であった歴史があるためです。
商店街や商業施設が充実した庶民的な住宅街が広がり、交通の便もよく、暮らしやすいエリアです。
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