自由が丘といえば、高級住宅街のイメージが強いかもしれません。
おしゃれなブティックが建ち並び、セレブが暮らす街としてのイメージがありますが、近年ではスイーツの街としても人気を集めています。
自由が丘の街の特徴や歴史について見ていきましょう。
目次
自由が丘の特徴
自由が丘はどのような街なのでしょうか。
高級住宅街のイメージが強いですが、邸宅が建ち並ぶだけのエリアではありません。
確かに、自由が丘の街中を歩いていくと、マンションやアパートをはじめ、小さな戸建住宅が密接して建っている東京都心部や下町エリアとは異なり、高級感ある庭付き戸建住宅やセキュリティ設備が配された門を配した邸宅などが見受けられます。
おしゃれなお店も多いですが、駅前には庶民的なお店もある商店街があるなど、決して近寄り難い場所ではありません。
文教地区
自由が丘はもともと、昭和2年に創設された自由ヶ丘学園があったことから、地域名が付けられた場所です。
現在も自由ヶ丘学園高等学校として、自由が丘の地で歴史を刻んでいます。
窓際のトットちゃんの舞台となった、現在は閉校しているトモヱ学園も自由が丘の地にありました。
現在でも、産業能率大学のキャンパスがあるなど、文教地区としての特徴を有しています。
高級住宅街
自由が丘は、高級住宅街である田園調布に隣接しており、そのつながりもあって、邸宅も多いエリアです。
もっとも、高級住宅街としてもてはやされたのは、女性ファッション雑誌やテレビ番組で取り上げられたことやマンガやドラマなどに描かれたことが大きく影響しています。
自由が丘にあるおしゃれなお店でショッピングを楽しむ様子やレストランやカフェで優雅な時間を楽しむ自由が丘マダムの様子が盛んに取り上げられました。
一躍、自由が丘セレブブームが起き、当時の女性たちは青年実業家などと結婚して、自由が丘に住みたいと憧れたものです。
おしゃれなショッピングストリート
自由が丘は駅からの通りにおしゃれなブティックやインテリア雑貨店などのこだわりのお店も集まっており、セレブがショッピングを楽しんでいると話題になり、多くの女性やカップルなどが買い物に訪れました。
セレブ気分を楽しみたい買い物客に合わせるように、自由が丘の通りは、セレブ感を感じられる名前がネーミングされています。
たとえば、マリ・クレール通り、カトレア通り、ガーベラ通り、サンモア通り、女神通りなどです。
こだわりのあるお店
自由が丘は、高級住宅街としてセレブブームが起きる以前から、こだわりのあるお店が集まっていました。
中でも有名なのが、日本で初めてモンブランを開発して提供したと言われている、洋菓子店のモンブランです。
昭和8年に創業した歴史あるお店で、現在も創業当時からのレシピにもとづき、美しくておいしいモンブランケーキを提供しています。
こうした歴史からか、自由が丘には多くのこだわりのあるお店が出店するようになりました。
デザイナーの独自ブランドのブティックをはじめ、手作りのアクセサリーや革小物などの服飾雑貨やインテリア雑貨のお店、無添加のケーキやデリのお店などがあります。
シェフのこだわりの料理が楽しめる一軒家レストランや隠れ家的なバーなども多いのが特徴です。
自由が丘の歴史
自由が丘はどのような歴史を歩んできた街なのか、見ていきましょう。
自由ヶ丘学園の創立
1927年、昭和2年にこの地に自由ヶ丘学園が創立されます。
教育者として名高い手塚岸衛氏が自由主義教育を掲げて設立した学校です。
当時、この地にあった鉄道駅の名前は九品仏駅であり、自由ヶ丘学園の最寄駅でした。
ですが、隣接地域に新たに建設される駅名が九品仏駅となることとなり、駅名を改称することが決まります。
当初、新しい駅名は衾(ふすま)駅でしたが、地域住民たちが自由ヶ丘学園の名称を使いたいと熱望し、昭和4年に自由ヶ丘駅となることが決まりました。
この時点では、「ヶ」の字が使われていましたが、現在は自由が丘駅に改称されています。
昭和4年には新たに建設された九品仏駅を隣駅とした目黒蒲田電鉄二子玉川線が自由ヶ丘駅にも通ることになりました。
これによって、先に開通していた現在の東急東横線と、現在の東急大井町線の前身となる目黒蒲田電鉄二子玉川線の2路線が通ったことで、自由ヶ丘駅は乗換駅として、多くの人で賑わうようになっていくのです。
こだわりのショッピングストリートの形成
昭和8年に自由ヶ丘駅のすぐ近くに、日本初のモンブランを開発したモンブランがオープンします。
鉄道が2路線使える便利な立地であったことも手伝い、モンブランとコーヒーを求めて、博識あり新たな文化に敏感な文化人や芸術家が喫茶店に集いました。
いつの頃からか、モンブランの喫茶店がある周辺エリアは自由が丘文化村と呼ばれるようになりました。
文化人などの中には、この地に居を構える人も増えていき、ハイソな住宅街が形成されていくようになります。
戦後
第二次世界大戦が終戦した直後には、自由ヶ丘駅前に闇市が形成されます。
配給制度や敗戦により、物が著しく不足していた時代に地域を盛り立てる一翼を担いました。
この闇市に集まっていた店の店主などが集まり、昭和23年には自由ヶ丘マーケットが形成されます。
さらに、昭和28年には、地上2階、地下1階の鉄筋コンクリート造の建物が建設され、自由ヶ丘デパートが完成したのです。
地域の商業の拠点となる施設が、戦後いち早く登場していたのは驚きです。
その後、駅前広場の整備が行われ、周辺の通りにおしゃれなショップや飲食店が続々と集まっていきました。
セレブブームの到来と終焉
高度成長期を経た1970年代~80年代にかけ、こだわりのブティックがあるおしゃれな街として自由が丘の名が少しずつ広まっていき、注目を集めるようになります。
1980年代終わりのバブル期に入ると、高級感あるブティックだけでなく、こだわりのシェフによるレストランやスイーツ店、ペットグッズ専門店などセレブな雰囲気のお店が続々と増えていきます。
この時期、雑誌やテレビにも自由が丘のセレブの様子などが取り上げられ、多くの人が自由が丘に訪れるようになりました。
バブル崩壊による打撃は少なかったものの、2008年のリーマンショックによって勢いが下降していき、現在では地域の活性化を図ろうと再開発が行われています。
自由が丘の交通アクセス
自由が丘には、東急東横線と東急大井町線の自由が丘駅があります。
東急東横線と東急大井町線の乗換駅でもあります。
東急東横線を使えば、祐天寺駅や中目黒駅、代官山駅や渋谷駅にダイレクトアクセスができ、田園調布駅や綱島駅、武蔵小杉駅や日吉駅を通って横浜駅までダイレクトアクセスが可能です。
営業や商談に出向く際はもちろん、自由が丘にオフィスを構えれば、神奈川方面から通勤する方にも便利です。
東急大井町線は17駅ほどの短い路線になります。
東急大井町線を使えば、自由が丘から大井町までダイレクトに出られるほか、轟駅や二子玉川駅、二子新地駅、溝の口駅へもダイレクトに行けます。
神奈川でファミリー層などに人気が高い居住スポットから通いやすいので、自由が丘にオフィスを構えると有能な経験者採用など人材採用にも有利に働くかもしれません。
自由が丘のオフィス賃料相場
自由が丘の賃料相場の坪単価は28,000円前後です。
立地や築年数、駅からの距離、周辺環境や備わっている設備、広さによっても変動しますので、確認が必要です。
まとめ
自由が丘はセレブの街として高級住宅街のイメージが定着していますが、駅周辺を中心に商業施設やオフィスビルも多く、交通の便も良いのでオフィスを構えるにも便利です。
鉄道は東急東横線と東急大井町線が使え、渋谷などの都内のターミナル駅をはじめ、神奈川方面とのアクセスが良く、営業や商談はもちろん、通勤に便利な立地です。
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