湾岸エリアは東京湾を埋め立てたエリアで、大きく分けると台場地区・青海地区・有明北地区・有明南地区の4区で、東京臨海副都心とも呼ばれています。
行政区画は、江東区、港区、品川区の3つで形成されており、総面積442haのエリアです。
湾岸エリアの特徴や歴史を見ていきましょう。

湾岸の特徴

湾岸エリアは、1986年に策定された第二次東京都長期計画に基づき、開発が進められた地域です。
東京都が都心部への一点集中型から、多心型都市構造への転換を進めるべく、新宿、渋谷、池袋などに次ぐ7番目の副都心として、育成することが目的とされています。
東京湾のウォーターフロントの埋立て地に形成された、臨海副都心です。
どのような特徴があるのかを見ていきましょう。

1つの都市が形成されている

湾岸エリアは、すべてが埋立て地で形成されており、東京湾に浮かぶ広大な人工島のような位置づけです。
新交通システムや鉄道も通じており、レインボーブリッジを通じて陸路もつながっています。
もっとも、夜間は終電が終わると、車がなければ移動ができなくなります。
天候などの影響で、都心部と行き来ができなくなる可能性もあるでしょう。
そのため、湾岸エリア内ですべてのことができるような施設や環境が整っており、1つの都市が形成されているような形です。

多彩な施設が集積

多彩な施設が集積

企業の本社ビルや高層・大型のオフィスビルをはじめ、港湾関連施設や物流施設、工場といった産業施設や研究施設、コンベンション施設など、働く方やビジネスをする方たちのための施設が充実しています。

そのほか、高層マンションを中心とした住宅街もあります。
人が居住するため、保育所や幼稚園、学校、医療機関や金融機関、ショッピング施設などの生活関連施設も欠かせません。
湾岸エリアには、この人工島を出なくても、生活するのに必要な施設が集積しています。
さらに、ウォーターフロントの景観や広大な敷地を活かし、観光客を呼び込む大型商業施設やエンターテイメント施設、スポーツ施設なども豊富です。

湾岸の歴史

湾岸エリアはどのように形成されていったのか、歴史を見ていきましょう。

江戸時代からの歴史があった

東京副都心が形成・発展してきたのは近代のことですが、湾岸エリアは江戸幕府が開府した当初から、防衛と交通の要衝でした。
沿岸部の埋立ては江戸時代からはじまり、たとえば台場は外国からの攻撃に備え、大砲が設置されていた場所です。
埋立て地は徐々に沖へと広げられ、明治時代には埋立て地が工業地帯として発達するようになります。

現代のようにすぐ通勤できるような場所ではないので、工場に勤務する人たちを中心に、居住する人たちも増えていきました。
すると、商店や飲食店、そのほかの生活関連施設も出店し、店主や従業員たちも移り住むようになっていきます。

これにより、埋立て地に町が形成され、ますます成長を遂げるようになります。
住民たちの暮らしと物流などのために渡しが開設され、船で移動を行っていましたが、やがて橋も架けられました。

昭和初期以降も、埋立て地はどんどん拡大されていきました。
昭和15年(1940年)には、晴海・豊洲地区で紀元二千六百年記念日本万国博覧会が行われる予定でしたが、第二次世界大戦の影響で開催には至りませんでした。
戦後の湾岸エリアは、貯木場や工業地、エネルギー基地、物流基地として、戦後復興と高度経済成長を支えていきます。

高度成長を遂げ、東京の都市部に一極集中が起こると、1980年代に入って臨海副都心構想が持ち上がりました。
1989年に開発が着手されると、1993年に首都高速11号台場線とレインボーブリッジが開通します。

さらに、1995年にゆりかもめの新橋~有明間も開業したことで、車がなくても移動ができるようになり、観光スポットとしての発展の歴史がスタートすることになりました。
コミケや東京モーターショーなど、名だたるイベントが開催されるようになる東京ビッグサイトができ、イベントなども開催されるフジテレビ本社なども誕生していきます。

交通の便が良くなるのに伴い、オフィスビルやタワーマンションなどが続々と建設され、通勤する人や居住者が増えていきます。

在勤、在住の人が増えることで、大型商業施設だけでなく、スーパーやコンビニなどのショッピング施設や病院、クリニック、金融機関などの生活関連施設も増えました。
子どもたちが通う保育園や幼稚園、小学校や中学校の義務教育機関も設立されました。
さらに、2021年に開催された東京2020オリンピック・パラリンピックでは、競技会場なども開設されています。

暮らしの場、働く場となったことで、常駐的に人は増えましたが、観光スポットとしての人気は低迷していきます。

ゆりかもめが開通した当初や、大型商業施設が開業した当初に比べて注目度が低下し、東京スカイツリーなど都市部に新たな人気観光スポットが誕生したことなどを理由に、外部から訪れる人が減りました。

東京ビッグサイトや有明コロシアムなどでイベントが開催されれば、多くの人が集まりますが、大型商業施設やエンターテイメント施設などに日常的に訪れる人が減っています。
そのため、ゆりかもめの開通とともに、呼び水になっていた商業施設やエンターテイメント施設の多くが閉館してしまったのが現状です。
その代わりとして、時代のニーズやトレンドをキャッチアップした、新たな施設が誕生します。

再び、観光スポットやショッピングスポットとして、話題性を回復させようと取り組んでいます。

有明地区の歴史

有明地区の歴史

有明地区は、江東区に位置します。

有明は昭和30年代半ばに、10号埋立て地の一部を深川有明町と命名し、昭和43年(1968年)に現在の町名になった地域です。
有明では、東京副都心構想が立ち上がる以前の1960年代から開発が進められており、マンションや商業施設が次々に建設されました。

この地域には東雲飛行場がありましたが、1980年に東京湾岸道路の建設に伴って閉鎖されています。
また、戦後の1952年から1981年まで、多くのゴルファーに親しまれていた東雲ゴルフ場は、有明テニスの森公園へと生まれ変わりました。
広大なゴルフ場の跡地が、1万人を収容する有明コロシアムと、48面のテニスコートや芝生広場などへ変貌したのです。

1995年にゆりかもめが開通して有明駅ができると、開発はさらに加速し、大規模なイベントや展示会などが行われる東京ビッグサイトがオープンしました。
東側には、国や東京都の広域防災拠点も形成されました。

湾岸の交通アクセス

湾岸エリアでは、新交通ゆりかもめと東京臨海高速鉄道りんかい線の鉄道をはじめ、首都高速道路・東京湾岸道路など道路網も充実しています。

新交通ゆりかもめで新橋まで出れば、JR山手線や京浜東北線、東海道線をはじめ、都営浅草線や東京メトロ銀座線などと乗り換えできます。
豊洲へ出れば、東京メトロ有楽町線に乗り換えができるので、都心部とのアクセスもスムーズです。

羽田空港に近いだけでなく、高速道路で成田空港とも結ばれているので、国内外への出張にも出やすいです。

湾岸のオフィス賃料相場

湾岸の賃料相場の坪単価は、20坪~30坪のオフィスで13,000円、30坪~50坪のオフィスで13,000円台、50坪~100坪のオフィスで14,000円~16,500円です。
100坪~200坪で13,500~15,500円、200坪以上のオフィスで13,000円~18,000円前後となっています。

最寄り駅や駅からの距離、立地や周辺環境、オフィスの築年数や階数、面積や形状、備わっている設備などによっても変動するので、確認が必要です。

まとめ

湾岸エリアは広大な敷地があり、オフィスビルが豊富です。
東京都心部に比べるとフロアの面積が広く、大規模なオフィスを設置しやすいです。
都心部に比べると、広いオフィスでも賃料が安めで、借りやすいメリットがあります。
りんかい線やゆりかもめは料金の高さがネックですが、湾岸エリアの交通アクセスは便利です。

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