墨田区立花は都営団地があり、下町の住宅街であるとともに、工作所や製作所、工業所といった町工場や伝統工芸の工房などがある、町工場が息づく町でもあります。
立花の街の特徴や歴史を見ていきましょう。
目次
立花の特徴
立花は、墨田区の東端に位置し、旧中川に面し、旧中川に荒川と北十間川の3つの河川と地区幹線道路に囲まれたエリアです。
地域南部を横切るような形で、東武亀戸線が走り、エリア内には東あずま駅しかありません。
江戸時代に創建された寺社・仏閣などが残り、地域で伝統と文化を継承しているなど、下町風情が色濃く残っています。
また、大小さまざまな規模の工場があり、ものづくりが盛んな地域でもあります。
そんな立花の特徴を詳しく見ていきましょう。
歴史を感じるスポットが豊富
立花には、地名の由来にもなったとされる日本武尊伝説が残る吾嬬神社をはじめ、地元の鎮守でもある白髭神社や東漸寺など歴史が長い神社仏閣が数多く残されています。
また、農家と町屋の特徴をあわせ持つ大正民家園(旧小山家住宅)は墨田区の文化財に指定されています。
大正12年(1923年)に発生した関東大震災にも耐え、昭和20年(1945年)の東京大空襲の被災も免れた奇跡的な存在の古民家でもあり、時代を超えて歴史的価値と文化的な価値を残す貴重な建物です。
地域のつながりが深い下町
立花エリアでは、町内会や自治会が結成され、年間を通じて地域で行事を行うことや廃品回収や子供会などの活動を行うなど地域のつながりも深いです。
地元の鎮守様である猿田彦命を祀る白髭神社の創建は、文安元(1444)年の説と、天和2(1682)年の説がありますが、いずれにしても歴史がある神社です。
1月1日の白髭神社元旦祭に始まり、2月には白髭神社節分祭、3月には白髭神社梵天祭が行われ、6月の白髭神社水神祭や9月の白髭神社祭礼には多くの地域の人が集まって神輿を担いで地域を回ります。
地域の結びつきが強く、下町風情が漂う町です。
風情ある景観
立花は旧中川に面しており、春には川沿いの桜並木が美しく、夏になるとハゼ釣りを楽しむ方で賑わいます。
自治会では、夏にハゼ釣り大会を開催するなど、地域に残された自然資源とのつながりも大切にしています。
旧中川沿いからは、夏には隅田川花火大会の花火を眺めることもでき、地域では人気の花火鑑賞スポットです。
近年では近くに東京スカイツリーが完成したことで、スカイツリーも景観に入り込むようになりました。
下町と川、東京スカイツリーという美しい景観が見られる地域として、地域外にも魅力をアピールしているところです。
伝統工芸も息づくものづくりの町
立花は製作所や工業所といった中小の町工場が、住宅街の中に混在している地域です。
日本のものづくりを支える部品の金型を作る金属加工などの作業所をはじめ、伝統工芸の工房も残されています。
東京に伝わる伝統工芸の一つである江戸切子の工房は、江東区の大島を中心に60ほどの工房が残っていますが、立花には花切子を手掛ける工房があります。
花切子という技法は、とても繊細な技法であり、手掛ける職人は極めて少ないです。
直線的な切子模様とは異なり、薄く削って動植物を描き出す技法です。
親子3代にわたって受け継がれてきた技術で、その作品は日本のガラス展の大賞に輝いた実績もあります。
立花の歴史
立花はどのような歴史を持つ町なのでしょうか。
地名の由来も含めて見ていきましょう。
地名の由来
立花の地名は、立花にある吾嬬神社に祀られている弟橘媛(おとたちばなひめ)にちなんで名付けられたとされています。
橘に立花の字をあてた形です。
弟橘媛は日本武尊の配偶者の一人です。
日本武尊の東征時に相模から上総へ渡ろうとしたところ、暴風に遭います。
妻である弟橘媛が海に身を投じて暴風を鎮め、日本武尊はこの地に上陸できたと言います。
弟橘媛はそのまま行方知れずとなり、御召物だけが流れつきました。
そこで、日本武尊が御召物をこの地に納め、吾嬬大権現として祀ったという言い伝えが残されています。
御神木の楠木も日本武尊が植えたものとされていますが、残念ながら現在は枯れてしまっています。
明治時代以降の発展
立花の地には中川や北十間川があり、水運に恵まれていたため、明治時代に入り、殖産興業政策が始まると、川沿いを中心に大規模な工場をはじめ、中小の工場が次々にでき、工業地域へと変化を遂げていきます。
繊維関連業やゴム製造、石けん製造といった富国強兵政策のもと海外へと輸出する製品や当時の生活をより豊かにする製品の工場が続々と稼働していきました。
立花で現在も残るものづくりの歴史は、明治時代から始まっていることがわかります。
もっとも、大きな複数の川沿いにあったことから、明治時代には大洪水に見舞われ、大正時代には関東大震災で被災し、昭和に入ってからは戦争の空襲では大きな被害を受けました。
戦後の復興の中で、大規模な工場は再建され、製造を再開させます。
ですが、高度成長期で大量生産化のニーズが生じ、都心に近い立花の地を離れ、広大な敷地が確保できる郊外へと工場が移転していきました。
その結果、立花の地には広大な空き地が発生します。
都心に近い立地を活かし、工場跡地には団地や公園が整備されていきました。
住宅地の形成
明治時代に次々に工場が建設されると、物流を担うための鉄道が開通し、明治時代後期の明治37年(1904)には、現在も残る東武鉄道亀戸線の曳舟から亀戸間が開通します。
現在の墨田区エリアには虎橋通、十間橋通、小村井、平井街道、北十間という5つの駅がありましたが、戦争の影響で駅の休廃止がなされます。
立花エリアにあるのは、現在は平井街道から改称した東あずま駅だけです。
高度成長期に入り、東あずま駅、北十間川にかけての工場跡地には、7,000戸もの公営住宅が建設され、図書館や保育施設なども整備され、ファミリー層が集まる住宅街が形成されるようになりました。
立花の交通アクセス
立花の最寄駅は立地にもよりますが、東武亀戸線の東あずま駅または小村井駅のほか、場所によってはJR総武線の平井駅も使えます。
東武亀戸線は、亀戸駅から曳舟駅を結ぶわずか5駅のローカル線です。
曳舟駅に出ると東武伊勢崎線に乗り換えができ、東京スカイツリー駅や浅草駅方面、または北千住駅や西新井駅を通り、草加駅や春日部駅など埼玉方面にも出られます。
亀戸駅に出れば、JR総武線に乗り換えが可能です。
JR総武線を使うと、秋葉原駅や飯田橋駅、市ヶ谷駅や新宿駅などのオフィス街にも出やすいです。
また、三鷹駅など東京西部の住宅街、船橋駅や千葉駅など千葉方面のベッドタウンともつながるので、通勤がしやすく、人材採用にも有利に働きます。
立花のオフィス賃料相場
立花のオフィス賃料相場の坪単価は9,000円前後~11,000円前後です。
最寄駅や駅からの距離、利用できる路線、オフィスビルの立地や周辺環境、築年数や広さなどによっても変動しますので、確認が必要です。
まとめ
立花は都営団地があり、下町の住宅街であるとともに、町工場が多い、ものづくりの町としても知られています。
交通の便はわずか5駅の東武亀戸線が中心となりますが、業務に集中したい業態、製作所や工業所など、ものづくりビジネスと連携したい業種などには、落ち着いて仕事ができる場所です。
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