本所は隅田川に面し、相撲の聖地として有名な両国や総武線沿線の中心商業エリアである錦糸町に接している地域です。
スカイツリーも目の前に見え、交通アクセスも便利なことから、近年居住エリアとしても人気が高まっています。
本所の街の特徴や歴史について見ていきましょう。

本所の特徴

本所の最寄駅として本所吾妻橋駅がありますが、本所エリアは隅田川に架かる吾妻橋や本所吾妻橋駅よりも、総武線寄りの両国や錦糸町側に位置しています。
本所にはどのような特徴があるのでしょうか。

下町風情が残る街

本所は、下町風情が残っている街で、複数の銭湯が今も残っています。
古くから暮らす地域の方の住宅街の中に、中小の町工場や作業所なども点在していて、産業の中に暮らしがあるようなエリアです。
両国とも接しているので相撲部屋が近くにあり、力士の姿なども見られます。

東京スカイツリーが見える街

東京スカイツリーがすぐ近くの押上に誕生したことで、本所の雰囲気も変化しています。
634mもある電波塔なので、本所のあらゆる場所から東京スカイツリーの姿を望むことができるのが魅力です。

昔ながらの街並みの中にマンションの建設も進んでおり、高層階からは窓やベランダから東京スカイツリーが目の前に見えるので人気が高まっています。
本所は、都心部との交通アクセスも便利なので、若い社会人やカップルから人気の居住スポットとして注目されており、家賃も高くなる傾向があります。

本所の歴史

では、本所にはどのような歴史があるのでしょうか。
江戸時代に遡って見ていきましょう。

江戸時代に誕生した本所

江戸時代、江戸の町は火災も多く、長屋などが多かったことから、ひとたび出火するとエリア全体を焼き尽くすような火災が多発していました。
中でも、1657(明暦3)年に起こった明暦の大火では、10万人を超える死傷者が発生し、江戸の町の6割以上を焼失するほどの大きな被害をもたらしました。

隅田川に橋が1ヶ所しかなかったことから、逃げることができなかったとして、幕府は隅田川に複数の橋の建設を始めます。
焼き尽くしたエリアを補完するために、湿地帯であった隅田川の東岸を開拓し、このエリアが本所、深川と呼ばれる地域となりました。

武家屋敷が建ち並ぶエリアに

明暦の大火で焼失した江戸の町を拡張する目的で開発された本所一帯は、火災に強いまちづくりとして、当時の江戸幕府による防災を考慮した都市計画によって整備されていきました。
運河をはじめ、類焼を抑えるための広い道路が設けられ、碁盤目状の区画は現在でも本所エリアに引き継がれています。
五代将軍の徳川綱吉の時代になると、本所一帯が軍事的な拠点として武家地を中心にする町へと再整備されます。

幕府直属の家臣である旗本や御家人の屋敷をはじめ、弘前藩津軽家の上屋敷などの大名屋敷や上級旗本の屋敷も置かれ、忠臣蔵で有名な吉良上野介義央の吉良邸もこの地にありました。
武家屋敷を中心にした本所ですが、運河沿いには職人や商人が暮らす町人地も形成されていき、賑わいある町へと発展を遂げていきます。

赤穂浪士の討ち入り

忠臣蔵に描かれる赤穂浪士の討ち入り事件は、ここ本所で起こりました。
吉良邸が本所にあり、そこで茶会があると知った赤穂浪士たちは、主君の仇を取るために、吉良邸に討ち入りしたのです。

江戸時代中期以降、赤穂浪士の討ち入りを題材にした仮名手本忠臣蔵が、人形浄瑠璃や歌舞伎で人気を集めました。
なお、吉良邸の跡地は、その一部を地元町内会の有志らが購入したうえで、昭和9年(1934年)に現在の東京都にあたる東京市へと寄贈しています。

寄贈を受けた東京市は、なまこ壁長屋門を模したコンクリート壁を設置することや説明板を設置するなどして、赤穂浪士の討ち入りの歴史を物語る史跡公園として整備しました。
この公園は、1935年に本所松坂町公園として開園しています。
戦後の昭和25年(1950年)には、東京市より墨田区へ移管されることになりました。
現在も本所松坂町公園は残されており、吉良上野介義央公座像や石碑などがあり、歴史ファンの散策スポットになっています。

葛飾北斎が生まれ暮らした本所

本所エリアでは、相撲をはじめ、浮世絵などの文化も育まれていきました。
浮世絵師として有名な葛飾北斎は、1760年に江戸本所割下水で生まれています。
葛飾北斎は、引越し回数の多さでも有名ですが、本所エリアを中心に引越しを繰り返していました。
冨嶽三十六景など数々の作品を残しています。

工場地帯として発展した本所

明治時代に入ると、本所と向島エリアには工場が建設されていきます。
日本最初の民間の鉄道車両工場を開設した平岡工場は、明治29年(1896年)に本所停車場のそばに大型工場を建設しています。

また、現在の服部セイコーの前身となる服部時計店は、時計の国産化を目指して、明治25年(1892年)、本所区に精工舎という仮工場を設けました。
明治時代中期以降は、本所や向島エリアに総武鉄道と東武鉄道をはじめ、路面電車も通り、鉄道網も発展していきます。

隅田川を中心とした運河も発達していたことから、船と鉄道との間で貨物の積み替えを行う広大な貨物ヤードも整備されました。
東京の一大物流拠点としての役割も果たし、工場群にとっても便利な立地でした。
服部時計店の精工舎は、大正時代の1923年に発生した関東大震災で全焼してしまいましたが、震災後、敷地を拡張して工場の再建が行われています。

現在の本所エリアは、中小の町工場が残っているものの、明治時代のような大規模な工場はなくなり、広大な工場の跡地に大規模な集合住宅やオフィスビル、公園などが建設されています。
また、近代化に伴いトラック網が発達し、舟運や鉄道貨物が衰退すると、貨物ヤードも廃止されました。

これに伴い、広大な空き地が生まれたことから、両国国技館や江戸東京博物館をはじめ、東京スカイツリータウンなど墨田区の代表的な施設が建設されていくことになります。

本所の交通アクセス

本所の交通アクセス

本所周辺には、都営浅草線の本所吾妻橋駅があります。
都営浅草線は、浅草橋駅や人形町駅といった問屋街、日本橋駅や東銀座駅や新橋駅、大門駅、五反田駅などのオフィス街にダイレクトに行けるので、営業や商談、買い付けなどのビジネス業務に便利です。

東銀座駅は銀座の最寄駅にもなり、大門駅は浜松町駅と隣接するので東京モノレールの乗り換えもスムーズです。
浅草橋駅からJR総武線、新橋駅ではJR山手線と京浜東北線、東海道線、五反田駅でもJR山手線に乗り換えることができます。
都営浅草線は、羽田空港や成田空港とも直通運転しているため、国内外に出張する機会が多い場合も便利です。

また、本所の立地によっては本所吾妻橋駅より、JR総武線の両国駅または錦糸町駅のほうが近いです。
JR総武線は、東京と千葉を結んでおり、船橋や千葉から東京西部エリアまでつないでいます。
秋葉原駅や東京駅、飯田橋駅や新宿駅などのオフィス街とダイレクトにアクセスできるだけでなく、立川や吉祥寺、三鷹や八王子、高尾など東京西部まで行ける路線です。
営業や商談などビジネスシーンに役立つだけでなく、千葉方面や東京西部エリアから通勤するのにも便利なので、人材採用にも役立ちます。

本所のオフィス賃料相場

本所の賃料相場の坪単価は10,000円前後です。
立地や駅からの距離、オフィスビルの築年数や面積、備わっている設備、周辺環境によっても変動しますので、確認が必要です。

まとめ

本所は、古くは工場があるエリアでした。
現在では、隅田川沿いの親水スポットであるとともに、目の前に新たな東京ランドマークとなった東京スカイツリーがあるなど、人気も高い場所になっています。
本所吾妻橋駅からは、都営浅草線が使え、都心部のオフィス街へのアクセスもスムーズで、羽田空港や成田空港にも行きやすいです。

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