碑文谷と聞いて、どの辺にあるかピンとくるでしょうか。
場所はよく分からなくても、碑文谷というと、高級住宅街をイメージされる方も少なくありません。
この記事では、高級住宅街として知られる碑文谷の街の特徴や歴史について、紐解いていきます。

碑文谷の特徴

碑文谷は東京都目黒区に位置し、JR山手線の目黒駅の外側、環七通りと東急東横線、東急目黒線に囲まれたような交通アクセスも便利な立地にあります。
高級住宅街として知られていますが、公園が多く自然にも親しめて、文教地区であるとともに買い物にも便利なエリアです。
どのような特徴があるのか、詳しく見ていきましょう。

文教地区

碑文谷に地域名を冠する駅はありませんが、最寄り駅として都立大学駅や学芸大学駅が利用できます。
現在は、両大学ともキャンパスが移転していますが、かつてはこの地にありました。
また、現在でも少し先に駒沢大学があり、昭和大学病院も近いなど、大学関連施設が多い文教地区です。

公園が多い

公園が多い

碑文谷には、都立林試の森公園や目黒区立碑文谷公園をはじめ、少し足を延ばすと都立駒沢オリンピック公園もあります。
広い公園が多く、自然に恵まれた地域です。
高級住宅街に暮らすセレブたちが、犬を連れて散歩することでも知られています。

神社仏閣や教会がある

碑文谷には、地名の由来となったとされる碑文石が祀られた碑文谷八幡宮、東京23区内で最古の木造建築とされる円融寺などの神社仏閣があります。
また、有名人が結婚式を挙げることで話題を集めたサレジオ教会があるのも、碑文谷です。
神社仏閣があると境内には緑があふれ、教会は静粛な雰囲気が漂うなど、清らかな空間が広がっています。

商業施設も多く便利

碑文谷は高級住宅街とされていますが、界隈には大手総合スーパーマーケットやホームセンターがあります。
少し足を延ばせば戸越銀座商店街などもあり、手ごろな価格で便利に買い物できる商業施設もそろっています。
生活に便利な地域でもあるため、住宅地として人気です。

戸建て住宅もある高級住宅街

東京は建物が密集したエリアが多く、マンションが多くなっています。
碑文谷は庭付きの一戸建てや、セキュリティの整った門がある邸宅が多く見られるエリアです。
財界人をはじめ、大物芸能人が邸宅を構える場所としても知られています。

道路網が便利

碑文谷に地域名を冠する駅はありませんが、東急線の複数駅が使えるほか、路線バスの本数も多いので、交通の便で困ることはありません。
また、環七通りが近くを通っているのをはじめ、第三京浜や首都高速と目黒通りで接続する位置にあるので、車での移動もしやすいです。
鉄道やバスは使わず、高級車で移動する人も多い碑文谷ですが、道路網が充実しているのも、この地が高級住宅街として人気を集めている理由かもしれません。

碑文谷の歴史

では、碑文谷はどのような歴史を紡いできたのか、見ていきましょう。

碑文谷の地名の歴史

碑文谷は漢字も難しく、知らないと読めないようなめずらしい地名です。
地名の由来は諸説あるものの、この地にある碑文谷八幡宮に祀られている、碑文石に由来するという説が有力です。

碑文石は単なる石ではなく、上部中央には大日如来、左側には勢至菩薩、右側には観音菩薩を表す梵字が刻まれている霊験あらたかな石碑です。
碑文谷八幡宮は、碑文谷村の鎮守様でした。
碑文石が、いつ、どこからこの地に祀られるようになったかの歴史も諸説あり、この地にあった立会川から拾い上げられたという説があります。

碑文石は、室町時代頃に作成されたのではといわれており、時代を経て江戸時代に発見され、この地の鎮守様に祀られたというものです。
碑文石は現存しており、現在も碑文谷3丁目に位置する碑文谷八幡宮に祀られています。
立会川は、碑文谷エリアでは現在、暗渠となっています。

碑文谷公園の池からサレジオ教会の東側を通り、碑文谷八幡宮周辺を巡って、清水池公園からの暗渠と合流し、立会川の本流へとつながる川です。
碑文谷の暗渠には緑道が整備されており、桜が植樹されているため、春には美しい桜並木を楽しめます。

もう1つの地域名の由来となっているのが、この地に通っている鎌倉街道沿いに、檜物屋(ひものや)があったからという説です。
檜物とは、ひしゃくや桶、ふるいなど、ヒノキを材料にした曲げ物容器のことで、これを製作する職人がこの地で活躍していたからという説です。
「ひものや」が「ひもんや」に変化して、地名として定着したと伝えられています。

江戸時代からの歴史

江戸時代、現在の碑文谷があるエリアは、碑文谷村と呼ばれていました。
碑文谷村という名称があることから、碑文石や檜物屋にかかわるエピソードは、それより前の話といえます。

現在の目黒区界隈には、碑文谷村をはじめ、上目黒村、中目黒村、下目黒村、三田村、衾村の6つの村がありました。
明治22年(1889年)に、碑文谷村と隣り合っていた衾村と合併し、碑衾村(ひぶすまむら)になりました。

その当時の碑文谷エリアは農業が盛んで、農地が広がり、米や野菜などが栽培されていたといいます。
また、良質な竹林が広がっており、高品質なタケノコが獲れる地として有名でした。
大正時代中頃は、タケノコの産地として注目を集めていました。
その後、大正12年(1923年)に関東大震災が起こると、長屋や商家が密集していた下町エリアを中心に火災が広がり、焼け野原となります。

すると、農地として土地に余裕があり、震災の被害も免れた高台の碑文谷が注目を集めました。
家を失った人や震災の被害を目の当たりにして、防災意識を高めた人たちが、碑文谷へと移り住むようになりました。

ちょうどこの時期に、目黒駅と蒲田駅を結ぶ目蒲線が開通します。
これは、現在の目黒線と多摩川線にあたります。
交通の便も良くなったことから、ますます移住者が増えていきました。

さらに、昭和2年(1927年)に東横線が開業したことで、碑文谷は一気に住宅街へと変貌を遂げていったのです。
駅の名称も、もともとは碑文谷駅が存在していました。

しかしその後、駅周辺にできた教育機関の名称を受け、青山師範駅に変更されます。
その後から第一師範駅になり、さらに学芸大学駅と変遷しています。
現在は学芸大学が移転していますが、駅名はそのままです。

碑文谷の交通アクセス

碑文谷の交通アクセス

碑文谷には地名を冠する駅がありませんが、立地により、東急東横線の学芸大学駅や都立大学駅、東急目黒線の大岡山駅や洗足駅なども利用できます。
東急東横線を使えば、代官山駅や渋谷駅にすぐ出られます。
また、自由ヶ丘駅や田園調布駅などの高級住宅街をはじめ、綱島駅や大倉山駅などファミリー層にも人気の住宅街、さらに横浜駅まで直通しているため、碑文谷エリアにオフィスを構えると通勤もしやすいです。

東急目黒線は、東京の目黒駅から神奈川県の日吉駅までを結ぶ路線です。
目黒駅に出れば、JR山手線に乗り換えられます。
また日吉方面をはじめ、新丸子や武蔵小杉などの住宅街からの通勤も便利なので、人材採用にも役立ちます。

碑文谷のオフィス賃料相場

碑文谷の賃料相場の坪単価は、22,000円前後です。
立地や最寄り駅、駅からの距離、オフィスビルの築年数や設備、フロアの階数や面積によっても変動するので、確認が必要です。

まとめ

碑文谷は高級住宅街として知られていますが、自然も多く、文教地区でもあります。
治安もいいので、オフィスを構えるにも安心で、ステータスも生まれます。
地名を冠する駅はないものの、立地により東急線の複数駅が利用できるので、不便はありません。

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