柿の木坂と言われると、年代によっては「柿の木坂の家」という歌を思い出すかもしれません。
昭和32年のヒット曲で、現在でも昭和歌謡として歌い継がれています。
もっとも、この歌詞で出てくる柿の木坂は広島にある坂ではないかと言われているため、東京の柿の木坂とは違うようです。
この記事では、東京目黒区にある柿の木坂の街の特徴や歴史を紐解いていきます。
目次
柿の木坂の特徴
柿の木坂は目黒区にある閑静な住宅街で、政財界人や芸能人などが暮らす高級住宅街として知られています。
どのような特徴があるのでしょうか。
高級住宅街
柿の木坂は、名前に坂が付いているだけあり、高台に広がる閑静な住宅街です。
最近ではマンションも増えていますが、政財界人や大物芸能人などの邸宅も多く、高級住宅街として知られています。
庭付き一戸建て、ガレージがあり、門構えがしっかりした大きな家が多いです。
駒沢オリンピック公園など自然に親しむ場所がある
柿の木坂は、都内でも大きな公園である駒沢オリンピック公園と碑文谷公園に挟まれたエリアに位置しています。
そのため、朝夕にウォーキングやジョギングをしたり、犬を連れて散歩に出かけたり、休日にゆっくりと公園でリラックスできるなど、自然に親しめる場所が身近にあるのも魅力です。
駒沢オリンピック公園は、1964年の東京オリンピックの際に競技会場の一つとして開設された場所を公園にしたものです。
広大な敷地があり、陸上競技場や野球場、テニスコートや体育館をはじめ、芝生の自由広場やサイクリングコースやランニングコース、ドッグランなどが備わっています。
売店や軽食を食べられるお店などもあり1日楽しめます。
碑文谷公園は憩いと交流の広場をはじめ、有料でボートを楽しんだり、ポニーに乗ったり、動物たちと触れ合えるスペースなどがある公園です。
カップルやファミリーの憩いの場となっています。
文教地区
柿の木坂の最寄駅は都立大学駅です。
現在、都立大学のキャンパスは移転してしまったので、都立大学はありません。
ですが、柿の木坂エリアには目黒区立八雲小学校、八雲学園中学校・高等学校や東京都立桜修館中等教育学校、トキワ松学園などの学校が多く、それらの名門中学などに受験するための進学塾なども集まっています。
そのため、文教地区でもあり、朝夕には通学する学生の姿で賑わいます。
学生が多いので治安も良く、安心して過ごせる地域です。
道路網も便利
学校に通学する学生も多いため、東急東横線や路線バスなども充実していますが、柿の木坂周辺は道路網も充実している地域です。
エリアの両サイドに環七通りと環八通りがあるほか、目黒通り(都道312号)や駒沢通り(都道416号)などの幹線道路が通っています。
高級住宅街に暮らす人たちは車での移動も多いので、道路網が充実していることもこの地に邸宅が集まる理由かもしれません。
柿の木坂の歴史
柿の木坂にはどのような歴史があるのでしょうか。
柿の木坂という地名が付いた由来を含めて紐解いていきましょう。
柿の木坂の地名の由来
柿の木坂の地名が付いた由来には諸説あり、実は定かではありません
この地に大きな柿の木があったという説、農家の人などが荷車に柿を乗せて坂を上がっていたところ、子どもたちがひっそりと荷車から柿を抜き取った(柿抜き)からという説もあります。
現在の柿の木坂は比較的緩やかな傾斜ですが、かつての柿の木坂はもっと急斜面にありました。
そのため、柿を積んで坂を上がるのが大変で、柿を抜き取って量を減らしながら登ったからという説や急な坂なので荷車から柿が転げ落ちたことを柿抜きと呼んでいたという説もあります。
柿抜き坂が、いつしか柿の木坂になったというものです。
その昔、傾斜が激しい坂だったため、この坂を使おうとする人が少なく、人気がなく暗い坂だったという話もあります。
一人で通るのが不安なので、駆け抜けていく坂であったことから、駆け抜け坂が柿の木坂になったという説もあります。
明確な地名の由来は今でもわかっていませんが、柿ノ木坂という町名ができたのは、目黒区が単女湯した昭和7年(1932年)のことです。
この当時の柿ノ木坂は、現在のエリアとは少しずれていて、現在の環七通りに近い、碑文谷警察から都立大学駅まで下る目黒通りの坂の坂の名称だったと言われています。
この坂は、大きな湾曲のある急な坂道で、上るのが大変でした。
その当時、神田や京橋などに市場があり、そこに農作物を出荷する際には、荷車に農産物を載せて、この坂を上がっていく必要がありました。
重たい農産物を載せて、湾曲した急な坂を上るのは大変で、農家の人たちはチームを組んで、それぞれの荷車を1台ずつ、みんなで坂の上に引き上げては、次の荷車を引き上がるなどしていたと伝えられています。
高級住宅街としての歴史
柿の木坂エリアが高級住宅街へと成長したルーツは、昭和の初めに遡ります。
柿の木坂という町名が誕生した昭和初期、土地の区画を大き目に整備し、広い土地を買う能力のある人に購入させるという都市計画が持ち上がります。
都市計画にもとづき、地主らが耕地整備が行いました。
そのため、柿の木坂エリアでは、土地が細かく分割されて分譲されることがなく、当時の大きな区画のまま利用されているので、庭付きの邸宅や大きな邸宅が建ち並んでいるのです。
現在は首都大学東京として移転してしまった東京都立大学の前身の学校がこの地に創設されたのも、柿の木坂の町名ができた1932年のことです。
広い土地を取得できたために、学校を造れたと言えます。
都立大学の跡地
柿の木坂の最寄駅は都立大学駅ですが、都立大学は1991年に移転してしまっており、この地にはありません。
移転してから長い年数が経ちますが、駅名はそのままです。
現在、都立大学の跡地には生涯学習施設のめぐろ区民キャンパスが建てられています。
めぐろ区民キャンパスには、めぐろパーシモンホールがあり、バレエやクラシックコンサートなどが開催され、文化や芸術に親しむことができます。
ちなみに、パーシモンとは、英語で柿の木または柿を意味する単語です。
柿の木坂の交通アクセス
柿の木坂の地域名を冠する駅はありませんが、東急東横線の都立大学駅が最寄駅です。
都立大学のキャンパスは現在この地にはありませんが、駅名は継続して使われています。
ちなみに、都立大学駅に改称される前の駅名は柿の木坂駅でした。
東急東横線を使えば、中目黒駅や代官山駅、渋谷駅にダイレクトアクセスでき、自由が丘駅や武蔵小杉駅、綱島駅や日吉駅を抜けて横浜駅まで通じています。
営業や商談などをするためにオフィス街にも出やすく、かつ東京や神奈川の住宅街からともつながっているので通勤もしやすいです。
通勤の便が良ければ、人材採用にも有利に働きます。
柿の木坂のオフィス賃料相場
柿の木坂の賃料相場の坪単価は22,000円前後です。
立地や最寄駅、駅からの距離、周辺環境、オフィスビルの築年数や階数、形状や広さ、設備によっても変動しますので、確認が必要です。
まとめ
柿の木坂は高級住宅街として知られています。
閑静な住宅街が広がりますが、大きな公園もあり自然も豊かで過ごしやすい街です。
名門の中学や高校、進学塾も多く、学生が行き交う街でもあります。
最寄駅は都立大学駅なので渋谷方面、横浜方面とダイレクトにつながっており、ビジネスでの移動や通勤もしやすいです。