道玄坂は渋谷駅の西側、渋谷スクランブル交差点エリアから神泉へと伸びていく坂を指します。
道玄坂エリアの特徴や現代までの歴史について紐解いていきましょう。
目次
道玄坂の特徴
道玄坂はどのような特徴があるエリアなのでしょうか。
長く話題を集めてきた商業施設をはじめ、近年の再開発の動きで新しく誕生したことや蘇った商業施設、オフィスビル、複合施設などがランドマークとして点在しています。
そんな道玄坂の特徴を見ていきましょう。
人気の商業施設がある
道玄坂の地名は有名ですが、具体的にどのエリアかわかるでしょうか。
道玄坂は一丁目、二丁目があって横に広いうえ、渋谷駅に近い道玄坂下と、神泉駅に近い道玄坂上があるので、意外に幅があるのです。
道玄坂には、大型の商業施設も多く、歴史もあり、女子高生をはじめ、若者のファッションの聖地として人気を集めてきたSHIBUYA109があります。
また、ティーンをはじめとする若者の街から、大人の街へと舵をきるパイオニアとなった渋谷マークシティがあるのも道玄坂です。
渋谷マークシティは、オフィスゾーンも備え、社会人をターゲットにしたショップやレストランなども備えて、渋谷駅前にそびえています。
さらに、長年親しまれてきた東急プラザが閉館した後、新たに生まれ変わったのが渋谷フクラスです。2019年に開業した新しい複合施設で、「大人も楽しめる渋谷へ」がコンセプトに掲げられています。
40歳以上の中高年をターゲットにした新しい東急プラザ渋谷をメインに、食と健康、美、趣味を楽しめる場所になっています。
老後などのライフプランの悩みを相談できる、シブヤライフラウンジがあるのも特徴的です。
また、オフィスゾーンがあるほか、1階に空港リムジンバスのターミナルも備えたユニークな施設です。
さらに、2023年には道玄坂通 dogenzaka-doriが開業しました。
物販系のショップと飲食店をはじめ、オフィスゾーンとホテルも入った複合施設で、渋谷駅から400mほど歩いた道玄坂二丁目の坂の上にそびえる高さ115mの高層ビルです。
松濤エリア・円山町エリア・渋谷センター街エリアの中間に位置し、文化村通りと道玄坂小路の結節点に位置します。
道玄坂エリアに新たな回遊空間を生み出すことをコンセプトにし、渋谷という街の結節点になることを目指しています。
オフィス街
道玄坂には大型のオフィスビルも多いほか、中小のオフィスビルが建ち並んでいます。
オフィスワーカーの需要を満たすために、道玄坂にはコンビニエンスストアも多いのが特徴的です。
オフィスゾーンと商業施設との複合施設が多い中、オフィスメインで新たに誕生したのが渋谷ソラスタです。
各フロアにグリーンテラスが設けられ、最上階には共用のスカイラウンジやスカイテラスを備えた21階建ての高層オフィスビルで、オフィス全体が緑と自然光に囲まれているのが特徴です。
最新のIoT技術を備えながらも、リフレッシュできる空間が広がり、快適に働ける環境を提供しています。
一方、東急プラザが生まれ変わった渋谷フクラスの17階には、新しいビジネスを生み出す拠点としてBusiness-Airport Shibuya FUKURASという産業進出支援施設が設けられました。
クリエイティブコンテンツ産業や外国企業の進出拠点となる施設として、クリエイターや起業家のスタートアップを支援します。
また、道玄坂通 dogenzaka-doriにもスタイリッシュな雰囲気のオフィス空間が創出されています。
こだわりの店がある
大型の商業施設やオフィスビルが増える中、道玄坂の通りをはじめ、そこから入った道玄坂小路と呼ばれる路地を入っていくと、こだわりを持つ小さなお店やライブスペースなどが点在しています。
自然食レストランなどこだわりの飲食店、インテリア雑貨店や楽器店、地下の小さなライブスペースなどに足を運んでみるのも楽しいです。
道玄坂には、かつてこのエリアにあった渋谷百軒店の面影が残り、路地裏にも魅力が詰まっているのも特徴です。
道玄坂の歴史
今でこそ、大きな商業施設やオフィスビルも建ち並んでいる道玄坂ですが、どのような歴史を辿ってきたのでしょうか。
関東大震災後の発展
道玄坂は、渋谷の東側にある宮益坂エリアに比べるとパッとしない地域でした。ですが、1923に関東大震災が起こり、東京の下町や中心部が焼失すると変化が起こります。
道玄坂すぐの場所に浅草や銀座などの名店が場所を求めて移転してきたのです。資生堂や精養軒、山野楽器などの名店が集い、百軒店と呼ばれました。
すると、隣接する道玄坂には、露店商が出店して賑わいを見せるようになります。この露天商が、現代のしぶちかを構成する商店街のルーツになっています。
戦後の混乱と発展
第二次世界大戦後は、露店商が現在の西武渋谷店のほうまで広がり、いわゆる闇市として、生活物資などを求める人が集まるようになります。
ですが、戦後の混乱を抑えるべく、GHQが1949年に全国の闇市を一斉に取り締まる八・一禁止令を発令しました。
翌1950年3月31日までに、都内の公道上からの露店を撤廃せよという命令です。実は、渋谷と新橋では八・一禁止令に先駆けて露店閉鎖が命じられていました。
1946年9月に露店営業取締規則が制定され、特別許可がない限りは、移動出店地域と常設出店地域を厳格に区別することが求められました。
もっとも、東京都としてはGHQの命令にそのまま従っては、経済や生活が成り立たなくなるため、露天商に対して代替地の斡旋や補助を行うべく、各地の露店商に協同組合の結成を促します。
道玄坂の露店商たちはいち早く組合を作り、戦後の混乱からの脱皮を図ろうとしました。その組織が、後に渋谷地下商店街協同組合となり、今でも残るしぶちか形成のルーツとなっています。
大型施設の誕生
道玄坂は、戦後は商店街と民家が集まるようなエリアでしたが、次第に大型施設が誕生していくようになります。
1965年に現在の道玄坂1丁目に、現在の渋谷東急プラザの前身となる渋谷東急ビルが開業しました。1967年には現在の道玄坂2丁目に東急百貨店本店が開業します。
その後、1977年に東急田園都市線の前身となる東急新玉川線が開通し、1978年に地下鉄半蔵門線が開通すると、交通アクセスもより便利になり、商業施設の出店の勢いが加速します。
そして、1979年には道玄坂2丁目に、やがて若者の聖地となるファッションコミュニティ109が開業したのです。
賑わいを増し、周囲に店舗やオフィスが入るビルが続々と誕生していきました。若者の街と化していた渋谷に、オフィスも兼ね備えた複合ビルも誕生していきます。
その皮切りとなったのが、2000年に道玄坂1丁目に誕生した渋谷マークシティです。
さらに、近年の再開発の動きの中で、2019年に渋谷ソラスタが誕生し、老朽化した東急プラザを建て替える形で渋谷フクラスも誕生しました。
そして、100年に一度と言われている渋谷再開発の中で、2023年8月には道玄坂通 dogenzaka-doriが開業しました。
道玄坂の交通アクセス
道玄坂は、大きく分けると渋谷駅と神泉駅が使えます。
道玄坂下のエリアは渋谷駅が近く、JR線の山手線、埼京線、湘南新宿ラインをはじめ、東京メトロ副都心線・半蔵門線・銀座線、東急東横線・東急田園都市線、京王井の頭線と複数路線が使えるので交通アクセスは便利です。
複数路線が使えるため、都内への移動はもちろん、埼玉や神奈川方面へのアクセスもスムーズです。
道玄坂上なら渋谷駅まで歩くより、京王井の頭線の神泉駅のほうが近くなります。神泉駅の隣が渋谷駅になります。また、反対方面に行けば、下北沢や明大前、吉祥寺などにも出やすいです。
道玄坂の賃料相場
坪単価は26,000円前後~40,000円前後です。
渋谷駅に近い道玄坂下か、神泉駅に近い道玄坂上かで賑わいや環境、利便性などが異なります。
立地や駅、駅からの距離、ビルの築年数や備わっている設備や共用施設によっても差が出ますので、確認が必要です。
まとめ
道玄坂下には、渋谷マークシティやSHIBUYA109などの商業施設があり、道玄坂上には渋谷ソラスタなどの高層オフィスビルなどランドマークがあります。
坂の途中にはオフィスビルが建ち並ぶほか、ここかしこにこだわりのお店が点在し、渋谷のスクランブル交差点エリアの喧騒からは少し離れた落ち着いた雰囲気があります。