秋葉原は、電気街として発展を遂げてきましたが、近年ではオタクやアイドルの聖地、メイド喫茶の街などとしても人気を集めています。
国内外から多くの買い物客や観光客が集まる、秋葉原の現代までの歴史や街の特徴を見ていきましょう。
目次
秋葉原の特徴
秋葉原はどのような街なのか、その特徴を見ていきましょう。
電気街
秋葉原は、戦前から電気街を形成してきました。時代のニーズにより、扱う電気製品は異なっていますが、電気街として発展してきた歴史は長いものがあります。
戦前は、ラジオ部品などを扱う卸売業者が多く集まっていました。戦争で焼失した後は露店として復活し、その後にラジオをはじめ、三種の神器として高度成長期にテレビや洗濯機、冷蔵庫を求める消費者が増えると、白物家電を中心に小売りを行うお店が増えます。
ウォークマンやCDの登場により、AV機器を扱うお店が増えました。さらにパソコンが普及すると、パソコンを扱う専門店や業態変更をする店が増えていきます。
ハンズフリーの電話が普及することでPHS、携帯電話、スマホの販売に力を入れる店が増えます。
このように、その時代のニーズに合わせた家電製品やデジタル機器の販売を強化しながら、多くの買い物客が国内外から集まる電気街として発展していきました。
オタクの街
家電街として成長してきた秋葉原は、日本各地で郊外に大型家電量販店ができ、通販で安く家電製品が購入できるようになると、秋葉原の電気街もやや下火になってきます。
そんな中で、生き残り策としてゲームソフトやDVD、アニメ関連のグッズなどを扱うお店が増えていきます。
すると、ゲーム好きな方やアニメオタクが集まるようになり、こうした関連グッズを扱うお店もどんどん増えていきました。
日本の文化が海外でも知られ、日本のアニメやマンガ、ゲームなどが人気になると、海外からも訪れる人が増えるようになります。
アイドルやメイド喫茶の街
電気街やオタクの街として買い物客が多かった秋葉原に、アイドルがライブを行うシアターができると、会いに行けるアイドルの聖地としても注目を集めるようになります。
さらに、これまでにない独特の接待が話題のメイド喫茶も続々と増え、男性だけでなく、女性や海外の観光客からも人気を集めることになりました。
秋葉原の歴史
このように秋葉原は、電気街としての発展や、オタクやアイドルの聖地、メイド喫茶の街として多くの人の注目を集め、人気の街となっています。
秋葉原は、どのような歴史を辿ってきたのでしょうか。
戦前
大正14年に、NHKがラジオ放送を開始すると、情報を得る手段や娯楽の手段として、ラジオの需要が増えていきました。
当時のラジオは製品として売られておらず、組立式で、真空管やスピーカー、トランスなどの部品を購入して組み立てる方式でした。
秋葉原には部品を売るお店が増えていき、そこに地方から買い付けにくる人が増えていきます。秋葉原で入手した部品を組み立て、完成したラジオを販売するラジオ店が、関東を中心に増えていきました。
ラジオは戦中の戦況を知るための手段としても重要であったことから、戦中もラジオ販売店は重要な存在でした。
一方で、秋葉原は東京大空襲で焼け野原と化します。
戦後の復興
焼け野原になった秋葉原に、かつての電気商を中心にラジオ部品を販売する露店、いわゆる闇市が開かれるようになります。
しかし、GHQによって露店が撤廃されると、露天商たちはお店を開く場を要求しました。
ガード下に露店が移動されたことから、現在の秋葉原電気街が形成されていきます。
現在の東京電機大学の学生が部品を売るのではなく、ラジオを組み立てて販売するアルバイトをしたところ、飛ぶように売れたことから、ほかの露店も真似をして販売をはじめます。
当時から国鉄と都電が通っていた秋葉原は、関東各地からも都内からもアクセスが良く、ラジオ販売を行いたい小売店から東京の消費者に至るまで、ラジオを求めて買い物に来ていました。
GHQの命令で、現在の秋葉原の地を中心に移転してきた露天商は、組合を作りました。
ラジオセンターが開店したのを皮切りに、通りを隔てた高架線横に東京ラジオデパート、万世橋のたもとにラジオガァデン、ラジオセンターの隣に2階建ての棟割り長屋式の秋葉原電波会館などが続々と建設され、秋葉原電気街の基礎が築かれていきます。
高度成長期
昭和30年代前半になると、白黒テレビに冷蔵庫、洗濯機が三種の神器として、家庭の憧れの家電製品となります。
秋葉原では、テレビや洗濯機によって飛躍を遂げ、卸商が小売併売をはじめることや店舗の大型化も進んでいきました。
さらに、昭和40年代後半には続々とビルが建設されて、大型店化が進みます。この時期には都電も撤収され、昭和48年からは歩行者天国も実施されるようになり、賑わいを増しました。
パソコン販売のスタートと日本製品の成長
昭和52年にアメリカでアップルコンピューターが販売され、インテルの8086など16ビットのマイクロプロセッサが登場すると、秋葉原でも昭和54年頃からコンピューターを販売するお店が増えていきます。
さらに、高度成長期を経て日本の家電メーカーの技術力が高まると、高品質な日本製品に世界の注目が集まります。
日本への観光や出張で訪れる外国人やビジネスで訪れる外国人は、ラジオやウォークマン、ステレオなどの家電製品をお土産に買い求めるようになり、秋葉原へとやってきました。
昭和50年代には秋葉原の多くのお店で、免税店・免税フロアを設けるまでになります。
秋葉原の転換期
やがて、郊外に大型の家電量販店ができることや通販などを通じて、家電製品を気軽に買えるようになると、秋葉原までわざわざ足を運ぶ消費者が減少していきます。
そこで、秋葉原電気街振興会は、CDラジカセ・ミニコンポフェア、エアコンフェアなど各種キャンペーンを展開して、消費者の需要喚起を行いました。
各電気店でも、パソコンショップを展開したり、ソフトやゲームの専門店を開設したり、雑貨などの販売店を設けて消費者のニーズを先取りしながら、集客力の向上に取り組みました。
家電不況に光が差したのが、1995年11月のWindows95の販売です。
Windowsを買い求めようとする人が増え、秋葉原はマルチメディア最先端の街として、再び注目を集めるようになります。
さらに、PHSや携帯電話のモバイル端末販売拠点となり、インターネットが普及するとネットワークサービスの申し込み拠点として、どんどん最先端のニーズを吸収しながら発展していきました。
秋葉原の再開発
秋葉原では、中央市場跡地の再開発と、JR敷地の再開発計画などが持ち上がります。
再開発のコンセプトは、創造・生産・消費の街へのシフトでした。
2004年には、神田消防署や地上40階建ての高層マンションが完成し、2005年春にはオフィスと産官学連携機能、コンベンションホールなどを備えた秋葉原ダイビルが誕生します。
2005年秋には、秋葉原と茨城県のつくば研究学園都市を結ぶ、つくばエクスプレスが開通します。JR山手線をはじめ、総武線、京浜東北線、東京メトロ日比谷線と銀座線に加え、つくばエクスプレスが開通し、一大ターミナル駅としての様相も呈してきました。
さらには、2006年1月、秋葉原UDXも誕生しました。
2010年にはアトレ秋葉原1がオープンし、昭和レトロな雰囲気を残す秋葉原から、近代的な街へと変貌しています。
オタクの街としての歴史
1990年代後半から、不振となった電化製品販売に代わり、アニメやゲームマニア対象のソフトウェアを扱う店舗が増えていきました。
もともと、パソコン部品を買い求めて専門店に通っていたパソコンオタクたちが、ゲームやアニメ、フィギュアにも興味を示し、オタクが集まる街として話題が集まるようになります。
さらに「電車男」がブームとなり、オタク文化が一般の人にも受け入れられるようになると、オタクが認知されてより多くの人が集まるようになりました。
マンガやアニメが海外に紹介されるようになると、海外の人にもCool Japanとして評価を集め、世界の若者が憧れる聖地へと昇華していきます。
秋葉原の交通アクセス
JR線の秋葉原駅からは、山手線、京浜東北線、総武線が使えます。東京メトロ日比谷線の秋葉原駅のほか、東京メトロ銀座線の末広町駅も近いです。
つくばエクスプレスも使えるので、沿線上の埼玉、千葉、茨城とのアクセスも便利です。
秋葉原のオフィス賃料相場
坪単価は、13,000円前後~30,000円前後です。
立地や駅からの距離、築年数や設備によっても変動するので、確認が必要です。
まとめ
秋葉原は電気街としての顔だけでなく、オタクの街やアイドルの聖地、メイド喫茶の街などとしても人気を集めています。
近年では、さらに新しいカルチャーの発信基地として、国内外から多くの人が集まります。JR線のほか、東京メトロやつくばエクスプレスなども使え、交通の便も良いのが魅力です。