市ヶ谷というと、市谷駐屯地や防衛省の建物を連想される方もいるでしょう。また、総武線や中央線で通る駅だけれど、何があるのかあまりイメージがないという方もいるかもしれません。
ここでは、市ヶ谷の歴史や街の特徴を解説します。
目次
市ヶ谷の特徴
市ヶ谷はどのような街なのか、その特徴を見ていきましょう。
高級住宅街
市ヶ谷はその昔、高台が広がる街として、江戸の一等地、番町と呼ばれていました。
江戸城の外堀の外側は、下級武士の屋敷や幕府の直轄地などが広がり、当時の富裕層が住んでいた頃から、高級住宅街としての歴史がはじまることになります。
現在、市ヶ谷で目を惹く有名な邸宅の一つが、最高裁判所長官公邸です。
戦後すぐの1947(昭和22)年から利用されていましたが、2011年の東日本大震災により倒壊リスクが高まったため、利用が中止されました。
2014年に、国の重要文化財に指定されたことをきっかけに耐震補強工事が行われ、新公邸と最高裁判所の迎賓施設の建設が行われています。
現在の高台に広がる邸宅街は、高級高層マンションも増えてきました。桜の名所として知られる千鳥ヶ淵や歴史ある靖国神社などに近く、皇居なども望めることから、億ションでありながらも人気があります。
寺が多い街
江戸時代、武家屋敷に住む大名が寺を詣でることが多いことから、市ヶ谷周辺に多くの寺院が集まってきた歴史があります。現在でも、市谷亀岡八幡宮が残されています。
そのほか、寺院の名残である市谷薬王寺町や市谷長延寺町、鷹匠組屋敷に由来する市谷鷹匠町や市谷砂土原町など、昔ながらの町名が残されているのも特徴です。
1950年代に行政が住居表示の変更を行おうとした際に、市ヶ谷の歴史を大切にする住民たちが地名保存運動を行った結果、町名がそのまま残された経緯があります。
防衛省がある街
かつては市谷駐屯地が置かれ、都心に自衛隊がある街として知られていましたが、現在は防衛省の建物が残る程度です。
しかし、日本の治安を守る防衛省があるので、厳格な雰囲気が漂っています。防衛省のほか外国大使館も多く、さらに大学のキャンパスなども多いため、国の施設や要人警護、学生たちを守るための警備体制が整い、治安がいい街としても知られています。
大使館が多いグローバルな街
市ヶ谷周辺には、ベルギー大使館やルクセンブルク大使館、ポルトガル大使館やイスラエル大使館、ローマ法王庁大使館などがあり、大使館が多い街でもあります。
さまざまな国の大使館職員やその家族の姿なども見られ、グローバルな雰囲気が漂っています。
また、市ヶ谷には国際協力活動を支援し、理解するための施設としてJICA地球ひろばがあるのも、見逃せないポイントです。
開発途上国の人々への共感や連帯感を育むことを目的に、各種の情報発信や情報収集が行われ、交流するスペースが設けられています。
平日の夜間や週末を中心に、国際協力などに関するイベントやセミナーが開催されているほか、地球案内人(ガイド)による開発途上国の現状や国際協力の実情について体感できるスペースなども、設けられています。
さらにJ’s Cafeでは、エスニック料理や在京大使館お墨付きメニューなど、世界各地のメニューを食べることも可能です。
懇親会の開催や珍しいメニューのケータリングも受け付けているほか、開発途上国の人々の生活を支えられる、フェアトレード商品の販売も行われています。
また交流ゾーンは、開発途上国を対象とした国際協力や国際交流などを行う団体向けの貸し出しスペースとなっており、セミナーやワークショップ、報告会などで利用することが可能です。
市ヶ谷の歴史
市ヶ谷は、どのような歴史を辿ってきたのでしょうか。市ヶ谷の歴史を見ていきましょう。
江戸時代から続く邸宅街
江戸時代、市ヶ谷の地には江戸城の門の一つである市谷御門が設置され、周辺に桜の木が植えられていたことから、桜の御門と呼ばれていました。
市ヶ谷は高台であったことから、江戸の街の中でも一等地とされ、武家屋敷が建てられました。
尾張徳川家の当主の上屋敷や加賀藩主前田家のお屋敷などがあり、高級部位層が住む場所でした。
明治期には軍用地に
明治維新が起こり、江戸幕府が倒れると、市ヶ谷に広がっていた大名屋敷の敷地は明治政府に接収され、軍用地になります。
江戸城の防衛の要として位置付けられていた、尾張藩徳川家の上屋敷の跡地には、陸軍士官学校が置かれました。
その場所は、第二次世界大戦の最中に、参謀本部(大本営陸軍部)などが置かれます。
江戸幕府は敵が西側から攻めてくるのを防ぐために、市ヶ谷の地に尾張藩徳川家の上屋敷を置いて、防衛体制を整備したともいわれています。
しかし、その役割は明治期以降、戦中も受け継がれていたと見ることも可能です。なお、明治期に設置された陸軍士官学校とは、将校クラスの陸士を養成する施設です。
市ヶ谷の高台に設置されたことから、陸軍士官学校は市ヶ谷台と呼ばれることもありました。
戦後の市ヶ谷台
第二次世界大戦が終戦し、敗戦した日本はGHQが進駐し、市ヶ谷台もアメリカ軍に接収されます。
陸士本部の建物内にあった大講堂は、1946年~1948年まで、東条英機など日本の主要戦争犯罪人を裁く、極東国際軍事裁判の法廷として利用されました。
極東国際軍事裁判の法廷や、GHQの司令部などに使用された市ヶ谷台の地は、1959年に日本へ返還され、1960年からは自衛隊の使用地となりました。
極東国際軍事裁判の法廷も設けられた1号館では、1970年に人気の小説家であった三島由紀夫がバルコニーに立ち、自衛隊員にクーデターの決起を呼びかける演説を行ったことでも知られています。
その後、三島由紀夫は総監室内で日本刀を用い、自ら割腹自殺する衝撃的な結末を遂げました。
衝撃的な三島事件の舞台となった後、市ヶ谷駐屯地として利用されてきましたが、2000年に六本木にあった防衛省が移転してきました。
市ヶ谷台にあった旧施設の1号館は、防衛省の新庁舎の建設に伴い解体されることになりましたが、その一部が移設されて市ヶ谷記念館として一般公開されています。
市ヶ谷記念館には大講堂が移築復元されており、極東国際軍事裁判が終わった後に撤去された玉座も、復元されています。
市ヶ谷の交通アクセス
市ヶ谷はJR線の市ヶ谷駅をはじめ、東京メトロ有楽町線と南北線の市ヶ谷駅、都営新宿線の市ヶ谷駅が使えます。
JR中央線と総武線が使えるので、新宿駅や東京駅にもすぐ行けるだけでなく、錦糸町や千葉方面、三鷹や八王子方面までダイレクトにアクセスできます。
東京メトロ有楽町線を使えば、池袋や埼玉方面、有楽町や銀座一丁目、豊洲や新木場、千葉方面にもアクセスしやすいです。
東京メトロ南北線を使えば、永田町や六本木一丁目、麻布十番や白金台をはじめ、逆方向に行けば、駒込や王子、埼玉方面までアクセスできます。
また、立地や目的地によっては、地下鉄新宿線の曙橋駅や都営大江戸線の大江戸線の牛込柳町駅も使えるので、交通アクセスは便利です。
市ヶ谷のオフィス賃料相場
坪単価は、15,000円前後~17,000円前後です。
立地や使える駅、駅からの距離、ビルの築年数や設備、周辺環境によっても変動するので、確認が必要です。
まとめ
市ヶ谷は長く防衛の拠点としての役割を持ち、現在も防衛省があるほか、世界各地の大使館なども集まっています。
そのおかげで警備体制が厳しく、治安がいいことで知られています。
歴史を紡いできたお寺や邸宅街も残されており、近年では邸宅に加えて、高級高層マンションも増えました。
大使館なども多いグローバルなオフィス街の側面と、閑静な住宅街が融合するエリアです。