日比谷は歴史のある地域ですが、近年になり様子が様変わりしてきている地域の一つでもあります。
日比谷の現代までの歴史や街の特徴を見ていきましょう。
目次
日比谷の特徴
日比谷はどのような特徴を持つ街なのでしょうか。ここから日比谷の特徴を見ていきましょう。
皇居が望める街
日比谷は、東京駅や有楽町、銀座にも近い立地で、日比谷からは皇居のお堀を望むことができます。
皇居外苑がすぐ近くであり、日比谷から皇居のお堀の周りを歩いて行けば、二重橋へと到達し、皇居へとたどり着きます。
戦後、GHQは皇居が望める日比谷の地を選び、マッカーサーは現在の第一生命ビルの本社の1室を自分の執務室として愛用していました。
日比谷公園がある街
日比谷公園は、東京ドーム4個分もの面積を持つ広い公園で、1903年(明治36年)に日本初の洋風庭園として開園しました。公園の中心にあるのが大噴水です。
直径30mの池から、12mもの高さの噴水が吹き出します。
園内には四季折々の花々が咲き誇るほか、大音楽堂や小音楽堂など野外ライブや野外イベントが開催される人気のスペースや日比谷公会堂などもあり、多くの有名アーティストたちがライブやコンサートを開催してきた歴史を持ちます。
また、園内には日比谷図書文化館もあり、自然に囲まれた静かな環境で読書や調べもの、勉強などをすることが可能です。
ロースクール制度が始まる前、司法試験が行われていた時代には、霞ヶ関にある最高裁判所や検察庁などの司法機関が近い立地であることから、司法試験の受験生が勉強をする場としても人気がありました。
また、園内には日比谷公園の開園と同時にオープンした歴史あるレストラン日比谷松本楼もあります。
当時では珍しい洋食レストランであり、現在でも当時から受け継がれてきたハヤシライスやカレー、オムレツライスなどの伝統の味が楽しめます。
映画館や劇場がある街
日比谷はエンターテインメントの聖地として、多くの人に愛され、足しげく通われてきた場所でもあります。
古い時代から日比谷公会堂でクラシックのコンサートなどが行われ、その後昭和初期から戦後にかけて、映画館や劇場がどんどんできていきました。
今はなくなってしまいましたが、日比谷シャンテやスバル座、みゆき座などの複数の映画館がありました。
それぞれ上映されている映画が違うことから、映画の日やレディースデーなどには午前中、午後、夕方と映画館をはしごして1日で3本の映画を観ることも可能だったのです。
現在では、新たに誕生した東京ミッドタウン日比谷内にシネコンができ、映画館の街、日比谷を継承しています。
また、帝国劇場や日生劇場、東京宝塚劇場などの劇場も揃っており、観劇に訪れるファンの姿も多く見られます。
界隈には映画や観劇の前後に食事や軽食を楽しむ、レストランやカフェも多いです。
オフィス街
映画や観劇などエンターテインメントが楽しめる施設も豊富ですが、東京駅や銀座にも近い立地で、オフィスビルも多く、オフィス街としても機能しています。
ランチタイムには日比谷公園でくつろいだり、お弁当を食べるビジネスパーソンの姿や出勤前や休憩時、業後などに皇居ランをしてリフレッシュしたり、体力づくりに励むビジネスパーソンの姿も見られます。
日比谷の歴史
では、日比谷はどのような歴史を辿ってきたのでしょうか。
日比谷が発展を始める明治期から見ていきましょう。
社交場や外交の拠点として発展
日比谷の地は皇居外苑に程近く、明治時代に入り、国際外交の拠点として1883年(明治16年)に外交官や貿易商などをもてなす鹿鳴館ができ、1890年(明治23年)には東洋随一の大ホテルとなる帝国ホテルも創業しました。
鹿鳴館では、ドレスとタキシードなど洋装でのダンスパーティーが開催され、帝国ホテルではベッドが備わり、洋食が提供されます。
そうした中、1903年(明治36)年には、日本初の洋風公園として日比谷公園も開園します。
江戸時代には大名屋敷であり、江戸幕府が倒れた後は、陸軍練兵場として使われていた場所です。
日比谷公園を開園するにあたって、レストランと喫茶店の経営者を公募したところ、現在も現役で運営している松本楼に決定しました。
松本楼は、もともと1872年(明治5)年に創業した銀座のレストランであり、この当時では珍しい洋食メニューを日比谷公園の園内で提供し続けてきました。
エンターテインメント街としての歴史
1911年(明治44年)には帝国劇場が開場しますが、大正時代の1923年、関東大震災で東京の中心部は焼け野原となります。
焼失した帝国劇場は、翌1924年には改修のうえで再興されました。
一方、関東大震災の復興のシンボルとして日比谷公園に開設されたのが日比谷公会堂です。
東京で唯一の音楽ホールとして、クラシックのコンサートなどが開催されるようになります。
さらに、1934年(昭和9年)には東京宝塚劇場や日比谷映画劇場がオープンし、翌1935年には東京宝塚劇場の直営劇場である有楽座もオープンしました。
戦後になると演劇専用劇場の芸術座をはじめ、みゆき座や日比谷スカラ座などの映画館が続々とオープンします。
さらに、戦後になると、1963年(昭和38年)に日生劇場がオープンし、映画や観劇が楽しめる街として多くの来場者を集めるようになりました。
戦後の歴史
第二次世界大戦の間は、エンターテインメント施設は機能することもできず、日比谷の街の賑わいも消えていきます。
一方、敗戦後、日比谷の地はGHQの進駐を受け、日比谷公園をはじめ、劇場やオフィスビルが接収されました。
明治生命館はアメリカ極東空軍司令部の庁舎となり、帝国ホテルは進駐軍の宿舎となります。
さらに、東京宝塚劇場は駐留する兵のための劇場になり、東京會舘は将校クラブなど社交場にされました。
中でも、第一生命館はGHQの庁舎となり、マッカーサー総司令官室が置かれます。
さまざまな候補地があった中で、各所を車で見て回り、マッカーサー自らが第一生命館を選んだと言われています。
その後、1952年(昭和27年)に第一生命へと返還されました。
なお、第一生命館は1989年から1995年にかけて再開発が行われ、現在はDNタワー21となっていますが、当時の第一生命館の西側部分と外壁の一部は残される形になっています。
また、マッカーサーの総司令官室は、歴史的遺構として内装や調度品なども当時のまま保存されています。
ビジネス街としての歴史
日比谷の近代化の歴史は早く、1930年(昭和5年)にはオフィスビルとして三信ビルディングが完成しました。
戦後の高度成長期になると、1960年(昭和35年)に、完成当時は東洋一のオフィスビルと称された日比谷三井ビルディングが完成します。
翌1961年には、現在のNTT日比谷ビルにあたる日比谷電電ビルをはじめ、東京電力本社ビルや第一勧業銀行本店ビルなどが続々と完成し、インフラや金融を担う日本の基幹産業の本社の拠点となりました。
その後、再開発が行われ、第一生命ビルなど老朽化したビルは高層オフィスビルへと変わっていきます。
また、オフィスゾーンとショッピング、飲食フロアなどが複合した東京ミッドタウン日比谷も開業し、新たなオフィスシーンの一つを担う存在となりました。
日比谷の交通アクセス
日比谷は、東京メトロ日比谷線 ・千代田線の日比谷駅をはじめ、都営地下鉄三田線の日比谷駅も使えます。
さらに、徒歩圏内にJR山手線と京浜東北線の有楽町駅、東京メトロ有楽町線の有楽町駅もあり、東京メトロ丸ノ内線・日比谷線・銀座線が使える銀座駅にも歩いてすぐの距離です。
複数路線が使え、複数の駅も使えるので、都心部への移動をはじめ、神奈川や埼玉、千葉方面への交通アクセスも便利です。
日比谷のオフィス賃料相場
坪単価は23,000円前後~25,000円前後です。
立地や駅からの距離、ビルの築年数や設備、オフィス環境によっても変動しますので、確認が必要です。
まとめ
日比谷は歴史もあり、有楽町駅や銀座、東京駅、皇居などにも近い立地です。
利便性も高く、ステータスもありますので、オフィスを構えるなら日比谷を検討してみてはいかがでしょうか。