麹町というと、どんなイメージをお持ちでしょうか。
世代によっては、テレビ局があった街という印象をお持ちの方もいれば、近年では億単位の高級マンションがある街というイメージもあるかもしれません。
麹町の現代までの歴史や街の特徴を見ていきましょう。
目次
麹町の特徴
麹町はどんな街なのか、特徴をご紹介します。
文教地区
麹町周辺には、東京ではもっとも古い歴史と伝統を持つ、千代田区立番町小学校をはじめ、雙葉学園や暁星学園など伝統があるお受験校も多いです。
小中学生から高校生、さらに大学もあるので、大学生なども集う学生街の側面もあります。
朝夕の時間帯には制服に身を包み、ランドセルを背負った可愛らしい小学生が、ビジネスパーソンに混じって電車を乗り降りする姿も見かけられます。
高級住宅街
麹町エリアは、東京の中でも高台にあり、江戸時代より一等地とされていた地域です。
そのため、高級な武士や大名の武家屋敷が置かれた歴史、明治期には華族などの邸宅が置かれていた歴史もあります。
そのため、現在でも高級住宅街として、邸宅や高級マンションなどが建ち並んでいます。
文教地区でもあり、人気のお受験校があることから、小さな子どもを連れてこの地に住居を置きたいご家族も少なくありません。
特に番町小学校は公立なので、一定の学区内に住んでいないと通えないことから、転居してくるご家庭もあるほどです。
近年では、近隣にある千鳥ヶ淵や皇居なども望める、眺望に優れた超高層マンションも増えており、億ションでありながらも競争率が高い人気を誇っています。
オフィス街
麹町は文教地区であり、高級住宅街でもありますが、オフィス街の側面もあります。
かつては日本テレビの本社があったことから、テレビ制作関係者や芸能人などの出入りも多く、界隈のエリアも業界関係者で賑わっていました。
この当時、テレビの観覧希望やお便り募集、プレゼント応募などのために、麹町の住所が読み上げられていました。
この時代を知っている方なら、麹町=日本テレビのイメージを持っている方も多いかもしれません。
現在、日本テレビの本社は汐留に移転してしまいましたが、制作スタジオが入る高層ビルが建ち、今も利用されています。
テレビ局があったことをはじめ、皇居などに近い東京の一等地であることから、ステータスも高く、麹町に本社を置く企業は少なくありません。
また裁判所なども近く、アドレスのステータスが高いことから、弁護士や税理士など士業の事務所も多いです。
麹町の歴史
では、麹町はどのような歴史を辿ってきたのか、見ていきましょう。
江戸時代から続く高級住宅街
麹町は、江戸城のお堀のすぐ外側に位置する高台で、一等地でした。
そのため、江戸時代には大名や将軍の直属の家臣にあたる、旗本の武家屋敷が建ち並び、その生活を支える商家なども集まっていました。
明治維新が起こり、江戸幕府が倒れると、武家屋敷の跡地には公共施設や学校、軍関連施設などが建てられたほか、皇族、華族といった上流階級の邸宅地になりました。
明治維新により、皇室が京都から東京奠都し、江戸城の地が皇居となります。
京都御所の周辺に暮らしていた宮家も、東京への移住が命じられ、その邸宅として明治政府が用意したのが、皇居周辺の麹町であったのです。
そのため、麹町周辺には、伏見宮家や閑院宮家の皇族邸をはじめ、明治期以降に新たに設けられた宮家の邸宅も建てられていきました。
なお、第二次世界大戦後は、GHQによって宮家は皇室離脱を命じられたため、皇族邸の跡地は、国の施設やホテルへと生まれ変わっています。
明治期の武家屋敷跡
江戸幕府が倒れると、武家屋敷の跡地は武士の失業対策を兼ねて、士族授産の地として利用された歴史もあります。
現在の大都心の中心部にある麹町の様子からは信じられませんが、農地や牧場として利用され、武士の身分を失った人たちが農家や酪農を営んでいたのです。
明治初期に牛乳を飲む習慣はありませんでしたが、明治維新を経て近代化や富国強兵政策が推進され、肉食や牛乳の飲用が推奨されるようになります。
牛乳の効用を伝えるために、新聞に記事や広告も出されました。
もっとも、当時は冷蔵保存の技術や冷蔵輸送の手段もないため、牛乳を生産する牧場も消費地に近接していなくてはなりません。
そこで、東京の人々に牛乳を供給する場として、麹町に酪農場が開かれたのです。
明治10年代~30年代になると、麹町から四谷区や牛込区など、周辺部へと移転する酪農家が増えました。
その一方、明治後期以降は牛乳の普及や消費量の増加に伴い、生産量を増やすために郡部など郊外へと移転していきました。
インターナショナルな街へ
明治期に、旗本の屋敷の跡地は、皇族・華族・官僚などの邸宅や学校になったのをはじめ、明治8年に英国公使館が移転してきたのを皮切りに、多くの外国大使館が置かれるようになりました。
すると、大使館職員やその家族が利用するための教会、ミッションスクールなども増えていきます。
上智大学や女子学院、白百合学園などのミッションスクールや聖イグナチオ教会などができました。
現在でも、ベルギーやルクセンブルク、ポルトガルやイスラエル、インドなど数多くの大使館が集まっており、インターナショナルな雰囲気も醸し出しています。
戦後のオフィス街としての発展の歴史
戦後になると、現在の日本テレビにあたる日本テレビ放送網株式会社が本社を置き、1953年に日本初となるテレビの民間放送をスタートさせました。
まだ東京タワーがなかったため、二番町にテレビ塔と呼ばれる送信所も設けられました。
高さ154mのテレビ塔には、74mと55mの位置に無料の展望台が設けられるなど、当時としては画期的な建物です。
テレビ局のスタジオ見学とセットで展望台を訪れる人が押し寄せ、観光名所と化すほどでした。
その後に東京タワーが完成し、1970年からはメインの送信所の役割を終え、テレビ中継のために使われるようになります。
さらに、1980年にはその役割も終え、解体されました。
2004年には、日本テレビの本社とメインのスタジオも、汐留に移転してしまいます。
本社だった建物は、日テレ麹町ビルとして、スタジオや制作部門の一部として活用されていました。
しかし、2018年に新たに日本テレビ番町スタジオが完成したことで、解体されています。
日本テレビ番町スタジオは、二番町に新設された地上11階、地下5階、鉄塔を含めた高さが99.9mの建物で、本社移転後も麹町の地でテレビ制作の一端を担っています。
麹町の交通アクセス
麹町では、東京メトロ有楽町線の麹町駅が使えます。
有楽町線は、永田町や有楽町、銀座一丁目、豊洲や新木場から千葉方面へのアクセスができるほか、逆方向では江戸川橋や池袋、小竹向原や氷川台、和光市など、埼玉方面までダイレクトにアクセスできます。
また、立地や目的地によっては、JR中央線・総武線の四ツ谷駅や東京メトロ丸の内線の四ツ谷駅を使うことも可能です。
JR中央線・総武線を使えば、東京駅や新宿駅にもスムーズに行け、錦糸町や千葉方面、中野や三鷹、八王子までアクセスしやすくなります。
麹町のオフィス賃料相場
坪単価は、12,000円前後~30,000円前後です。
立地や駅からの距離、ビルの築年数や備わっている設備、周辺環境によっても変動するので、確認が必要です。
まとめ
麹町は、古くは武家屋敷や華族の邸宅があり、その名残を残しています。
現在でも高級住宅街として知られ、近年では億ションに見られる高級高層マンションなども増えています。
有名な小学校をはじめ、お受験校や大学なども多い文教地区であることも特徴です。
一方、かつて日本テレビが本社を置いていた歴史もあり、オフィス街としても発展してきました。