九段といえば、日本武道館でのコンサートや靖国神社、千鳥ヶ淵を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
そんな九段の特徴や歴史を見ていきましょう。
目次
九段の特徴
九段は皇居の外堀の外側にあるエリアで、歴史と伝統を残す施設が多いほか、大学や名門小学校などの教育機関も多い場所です。
オフィス街も形成されていますが、やはり九段で注目されるものといえば、日本武道館、靖国神社、千鳥ヶ淵ではないでしょうか。
日本武道館に多くの人が集う
日本武道館は、名称にあるように、もともとは武道の試合を行う会場として設立されたものです。
ですが、当時としては大きな会場であり、いつの頃からか有名アーティストのコンサートやイベントにも利用されるようになります。
矢沢永吉のファンの聖地としても知られ、やがてアーティストが成功してコンサートを開く目標の会場とされるようになっていきます。
一度に多くの人が集えることから、近年ではマンモス大学の入学式や卒業式の会場として使われることや大企業の入社式に使われることも少なくありません。
日本武道館でなんらかのイベントがあると、九段下駅が日本武道館へと向かう人で賑わうため、今日は大きなイベントがあるんだなとすぐに気づくほどです。
靖国神社で歴史を感じる
靖国神社というと、第二次世界大戦の戦没者の御霊が祀られ、毎年夏になると慰霊祭が開かれることや政治家が参拝した、しないでニュースで取り上げられることが多く、あまり平穏な印象がないかもしれません。
靖国神社は第二次世界大戦後に作られたイメージもありますが、実際には明治2年(1869年)に明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社をルーツとしています。
明治維新に向けて、尊王攘夷の闘いが起こり、多くの幕末の志士たちが命を落としました。
明治天皇は国家のために命を捧げた方たちの御霊を慰め、その名を後世に刻もうとして、東京九段の地に招魂社を創建したのです。
そして、明治12年(1879年)に明治天皇の命名で靖国神社に名称が変わりました。
そこには、国を靖(安)んずるという願いが込められており、靖國神社は祖国を平安にし、平和な国家を建設する目的で建立された神社です。
都心の中にある大きな社と広々とした境内、荘厳な建物は一見の価値があります。
春には夜にともしびを焚き、桜が舞い散る中で薪能が開催されるなど、四季折々の行事なども開催されています。
千鳥ヶ淵で美しい桜を愛でる
千鳥ヶ淵は都内でも有数の桜の名所です。
昼間の桜も美しいですが、夜間になると提灯に明かりが灯され、ライトアップされた中で見る夜桜は幻想的な美しさです。
近くには桜餅を販売する老舗の和菓子店もあり、桜の季節には桜を見て、桜餅をお土産に買って帰るのも定番のコースになっています。
千鳥ヶ淵は桜の季節以外でも楽しめ、大都会でボートに乗るなど水上レジャーも楽しめます。
九段の歴史
では、九段はどのような歴史を辿ってきたのか見ていきましょう。
九段坂と九段下
九段には九段下という駅がありますが、駅名の由来は九段坂の下にある場所に位置しているからです。九段坂の上には、明治時代の1871年、靖国神社の灯籠として高燈籠が建設され、一躍注目を浴びる存在となりました。
明治新政府の威信を示すために明るく灯され、夜の東京湾や遠く品川沖からも見えるほどで、灯台のような役割も果たしていたほどです。
1880年には、高燈籠の隣に陸軍の将校クラブである偕行社が建てられ、夜も賑わいを見せていました。
明治後期に入って、九段坂下から市ヶ谷方面へと市電を通す計画が持ち上がりましたが、この地域の勾配が急過ぎて、電車が登ることができないとされ、北の丸公園に沿った堀側の勾配を削って、緩やかにしたうえで線路を敷設したというエピソードが残されています。
さらに、大正時代に発生した関東大震災後には、帝都復興計画のもと、九段坂を大幅に削って、勾配を緩やかにする工事が行われました。
この勾配工事に伴い、高燈籠は昭和5年、1930年に通りを挟んだ反対側の現在地に移設されています。一方、道路北側の地中には、当時としては画期的であった技術を用いて共同溝が設置され、九段坂は東京の主要な幹線道路の一部となっていきました。
屋敷町として発展した九段の歴史
九段は、明治初期に靖国神社が創設されたのを契機に、政府の官吏や財界人の屋敷町として発展してきました。
牛ヶ淵、清水濠、大手濠といった皇居の内濠と日本橋川に囲まれた立地で、皇居東御苑や北の丸公園にも接しているので、都心にありながら、豊かな自然や水辺に親しめる地域です。
九段会館の歴史
九段の歴史を語るうえで外せない存在が九段会館です。
昭和の時代を長く見守ってきた生き証人的な存在でした。
九段会館は、1928年(昭和3年)に、昭和天皇の即位の礼を記念する昭和御大礼記念事業の一環として建設計画がスタートしましたが、時代の影響もあり、当初は軍人会館という名称で1932年に起工し、2年余りの歳月をかけて完成に至りました。
軍人会館として、在郷軍人会の本部が置かれたほか、戦前から戦中を通じて軍の予備役などの訓練や宿泊施設として使われてきた歴史を持ちます。
中でも、歴史的な出来事として、1936年に発生した二・二六事件では戒厳司令部が設置されるなど、激動の時代を見てきました。
第二次世界大戦後、敗戦により、軍人会館はGHQに接収されます。
そして、アーミーホールという名称となり、連合国軍宿舎として利用されていました。
ようやく接収が解除されると、日本遺族会に無償貸与されることとなります。
名称は地名を取って九段会館と改められ、1957年(昭和32年)にレストランと結婚式場を備えた会場としてオープンします。
都心と自然、歴史を感じる立地と、建物のクラシカルで重厚な雰囲気から人気を博し、ブライダルなどで予約が難しくなるほどの人気を集めました。
ホールでは有名アーティストがコンサートを開催するなど、イベントも多く行われていました。
ですが、2011年の東日本大震災発災で天井が崩れ落ちます。
ちょうど専門学校の卒業式が行われており、天井の下敷きになった2名の方が命を落としました。
東日本大震災では東京も大きな揺れに見舞われましたが、死者の多くは東北地方の津波被害であったため、都心でも地震で人が亡くなったことは衝撃的な出来事だったのです。
九段会館は老朽化が激しかったこともあり、多くの人に惜しまれながらも、土地・建物ともに国に返還され、閉館されることになりました。
ですが、九段会館の再生計画が持ち上がり、2022年に九段会館テラスとして新たなスタートを迎えています。
建て替えにあたっては、旧・九段会館の一部が保存され、保存部分は2019年に登録有形文化財に登録されました。
九段の交通アクセス
九段は、東京メトロ東西線と半蔵門線の九段下駅と都営新宿線の九段下駅が使えるので便利です。
東京メトロ東西線を使えば、大手町や日本橋、茅場町をはじめ、南砂町や浦安や行徳、西船橋など千葉方面にもダイレクトにアクセスできます。
逆方向では早稲田や高田馬場、中野方面にも行けます。
東京メトロ半蔵門線を使うと三越前や水天宮前など日本橋エリアを抜け、錦糸町やスカイツリーのある押上までダイレクトにアクセスすることが可能です。
逆方向では永田町や青山一丁目、表参道、渋谷にダイレクトに行くことができ、渋谷の先の神奈川方面まで直通運転でアクセスできます。
都営新宿線を使うと、馬喰横山や浜町、森下などの下町をはじめ、千葉県の本八幡まで行けます。
逆方向では新宿三丁目や新宿へ行けるので便利です。
九段のオフィス賃料相場
坪単価は11,000円前後~17,000円前後です。
立地や駅からの距離、ビルの築年数や規模、共用設備やIT環境、周辺環境によっても変動しますので、確認が必要です。
まとめ
九段は歴史があり、都心にありながら、自然に囲まれた美しい環境です。
日本武道館や靖国神社、千鳥ヶ淵や九段会館テラスなどの人気スポットも多く、交通アクセスも便利です。