芝浦には、どのようなイメージをお持ちでしょうか。
名称は聞いたことがあるけれど、どの辺のエリアかわからないという方やどんな場所か詳しく知らない方も多いかもしれません。
この記事では、芝浦の歴史や特徴についてご紹介していきます。

芝浦の特徴

芝浦は、東京湾に面した一体で、竹芝ふ頭などのフェリー乗り場などもあり、ウォーターフロントとして開かれた場所です。
どのような特徴があるか見ていきましょう。

ウォーターフロント

芝浦には、竹芝ふ頭などのフェリーの船着き場があります。
東京都に位置づけられる小笠原諸島や伊豆諸島へとつながる重要な玄関口です。
島へと向かう観光客や旅行客をはじめ、島民が島と東京とを行き来するための定期船が就航しています。
また、東京湾を巡るクルーズ船も出ており、お台場方面や浅草方面、豊洲方面などを巡る遊覧船で、つかの間の船の旅を楽しむことができます。
30分程度の気軽な周遊船をはじめ、船内で飲食を楽しむ宴会ツアーなども人気です。
最近では、豊洲やお台場エリアに買い物に行く足にする方や通勤で船を使うという方も増えてきました。

オフィスビルなどが集結

オフィスビルなどが集結

広いエリアと物流などに便利な利点、ウォーターフロントの眺望の良さなどを活かし、オフィスビルや高層マンション、大型のホテルや商業施設などが入る複合施設なども増えています。
都心部にありながら、海が見える光景や海沿いを散策できるゾーンがあるため、快適な働く環境や住環境、観光に最適なスポットを形成しています。

海辺のリラックスゾーン

近年、竹芝ふ頭などの周辺エリアがより美しく使いやすく整備されました。
東京湾や行き交う船を眺めることができるスポットや遊歩道、広場やベンチなどが設けられています。
近隣のオフィスビルには、休憩ができるカフェやドリンクなどをテイクアウトできるショップ、美しい海や船を眺めながら食事ができる展望レストランなどもあり、賑わいを見せています。
近隣のオフィスで働く人や近隣に住む方がリフレッシュしたり、散歩やジョギングをしたり、犬の散歩をしたり、子どもを連れて遊びに来たりと、リラックスできる環境があるのが魅力です。
劇団四季の劇場などもあり、足しげく公演に通うファンも少なくありません。

芝浦の歴史

では、芝浦はどのような歴史を経てきたのでしょうか。
歴史を見ていきましょう。

昔は海だった

現在、山手線や京浜東北線などが通るJRの線路の東側、東京湾に面するエリアは、江戸時代は海が広がっていました。
新鮮な江戸前の魚介が穫れる漁場でした。
やがて、東京港に大型船が入れるようにするために、明治時代の末期から昭和初期にかけて隅田川口改良工事が行われます。
そして、この改良工事によって生じた土砂を活用して埋め立てられてできあがったのが芝浦エリアです。
大正時代に入り、大正8年(1919年)に海面埋立地を当時の行政区である芝区に編入し、芝浦1丁目~3丁目が生まれました。
大正15年(1926年)には日の出埠頭ができ、その後芝浦埠頭、竹芝埠頭も構築され、昭和16年(1941年)に国際貿易港としての東京港が開港することとなります。
戦後の昭和22年(1947年)には、芝区にあったエリアと周辺のエリアを含めて、新しい行政区である港区に所属することとなり、現在の芝浦地区が形成されました。

鉄道の開通とレジャースポットとしての芝浦

明治5年に日本初の鉄道となる新橋~横浜間が開通すると、新橋停車場に近い芝浦の地は、海辺のある風光明媚な場所として注目を浴びることになります。
かつて漁場があった時代の魚問屋から転業した活魚料理の料亭や茶店をはじめ、当時の鉄道は時間もかかったので、宿泊する客のために旅館などもできました。
芝浦の地は、海水浴や潮干狩りを楽しむ人や花火などを楽しむ人で賑わいを見せます。
また、料亭などで唄や踊りを披露する芸者も活躍し、芝浦花柳界の花街が賑わいを見せていきました。

大正時代から~昭和初期

明治時代の後半からは、東京港湾の埋め立て工事が拡張されていきます。
その後、関東大震災で東京の街が焼失する大被害を受けますが、芝浦の地は東京復興のための資材が全国から集まってくる物流の拠点として活況を呈しました。
物や人が集まるところには産業も集まってきます。
生産業が芝浦の地に移転してきたことや新興産業も増え、東京の経済の拠点として機能した時代もありました。

戦中と戦後

戦中は芝浦のレジャースポットに人が訪れることもなくなり、賑わっていた花街も疎開、移転を余儀なくされました。
戦後になって花柳界が復活したものの、芝浦エリアの多くの建物が東京都港湾局の所轄となり、戦後復興を担う港湾労働者のための宿泊施設として利用されるようになります。
この頃から芝浦は湾岸エリアの産業の街として発展していくようになり、芝浦花街は衰退することになりました。
芝浦の地には、東京芝浦電気と地名を冠した現在の東芝が拠点を置き、戦後の復興期や高度成長期の日本経済を支えました。
日本電気の本社など電機メーカーやインフラ関連の事業所をはじめ、倉庫群などが増えていきます。
この頃には、水運や貨物列車ではなく、芝浦エリアを走る京浜道路などを活用したトラック輸送に変わっていきました。

近年から現在

近年から現在

芝浦エリアには、事業所だけでなく、大学のキャンパスなどもできていきます。
戦後は住宅街として木造家屋もありましたが、高度成長期に入り、ビルの建設が進んでいきます。
ビル化によって、住民は郊外へと移転していき、ビルが立ち並ぶオフィス街へと変貌を遂げていきました。
近年になるとビルの老朽化が進んだほか、日本の高度成長期をけん引してきた東芝やNECなどの成長に陰りが見え、本社売却などの動きも見られました。
平成に入り、平成5年にレインボーブリッジが完成すると、その美しさに多くのドライバーや観光客が魅了されます。
レインボーブリッジという美しい新名所ができたことや再開発などに伴い、東京湾に面したウォーターフロントの美しさを活かし、高層マンションなども誕生し、再び住宅街としての顔も見せつつあります。

芝浦の交通アクセス

芝浦エリアへの交通アクセスですが、芝浦駅という駅はありません。
芝浦エリアのどの場所に行くかにより、複数の路線や駅を活用できます。
JR線の田町駅と浜松町駅は山手線、京浜東北線も使えて便利で、東京方面や横浜方面とダイレクトにつながっています。
浜松町駅からは東京モノレールを使って、羽田空港へとダイレクトにつながるので、国内外の出張へ行くにも便利です。
立地によっては、都営三田線と都営浅草線の三田駅、都営地下鉄大江戸線の大門駅などを利用することも可能です。
ゆりかもめの芝浦ふ頭駅も、芝浦エリアへのアクセスによく使われています。
また、竹芝ふ頭や芝浦アイランド船着き場など、船を使うことも可能です。
浅草や豊洲、お台場などへの遊覧クルーズをはじめ、伊豆諸島や小笠原諸島へ向かう定期便も周航しています。

芝浦のオフィス賃料相場

坪単価は12,000円前後~20,000円前後です。
立地や駅、駅からの距離や築年数、ビルに備わっている設備や面積によっても変動しますので、確認が必要です。

まとめ

芝浦エリアは東京湾に面したエリアで、ウォーターフロントとして発展してきました。
伊豆諸島や小笠原諸島と結ぶ船の玄関口になっているほか、遊覧クルーズなどが楽しめる場所でもあります。
ウォーターフロントには高層のオフィスビル群が集まるほか、リフレッシュできる環境があることから商業施設や住宅なども増えています。

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