新橋というと、ビジネスパーソンの街頭インタビューなどで、テレビのニュース番組などでしばしば登場する街です。
また、駅前にSLが置かれていることに目を留めている方も多いのではないでしょうか。
この記事では、新橋の歴史や現在の街の特徴をご紹介していきます。

新橋の特徴

新橋はどんな街なのでしょうか。
街の特徴を見ていきましょう。

サラリーマンの聖地

新橋はサラリーマンの聖地として知られており、多くのビジネスパーソンが行きかいます。
鉄道発祥の地として鉄道路線が充実しており、オフィスが集積しているのが一つの理由です。
大手企業よりは中小企業などのオフィスが士業の事務所などが多いです。
古くからオフィス街として働く人たちが集まっていたので、仕事終わりに遊ぶ居酒屋街や歓楽街もあり、終電まで賑わいを見せています。

小さな居酒屋が集積

新橋には界隈で働く人たちの憩いの場となる居酒屋街があります。
大規模なお店ではなく、こぢんまりとしたお店が多いです。
チェーン店の出店もありますが、古くから続く個人経営のお店が多いのも特徴です。
和風の居酒屋を中心に、餃子や点心など中華料理が楽しめる居酒屋や洋風居酒屋など、ジャンルも多彩になってきました。

歓楽街が残る

新橋には駅から少し歩いた一角に歓楽街も残っています。
昼間から遊べる場所やホテル、パチンコ店などもあり、働く合間や業後に息抜きできるような遊び場もたたずんでいるのが新橋らしさです。
もっとも、近年ではビルの再開発なども進み、少しずつ街の様子も変化してきています。

新橋の歴史

新橋は日本で初めて鉄道が通った日本の鉄道発祥の地です。
そのため、鉄道の歴史や鉄道の発展とともに成長してきた歴史もあります。
どのような歴史があるのか、見ていきましょう。

新橋の名前の由来

新橋の地名の由来ですが、その昔汐留川に架かっていた新しい橋だから新橋と付いたと言われています。
一度、橋の名前が変わったことがありましたが、明治時代になって橋の名が新橋に戻されるのです。
その後、明治5年(1872年)には日本の鉄道起点となる新橋停車場が誕生し、その北側の地域が新橋と呼ばれるようになります。
駅名も変遷があり、明治42年(1909年)に山手線ができると、現在の新橋駅にあたる駅は烏森駅として開業します。
その後、大正3年(1914年)に新橋駅に名称が変更され、明治5年(1872年)にできた新橋駅は汐留駅となりました。
昭和7年(1932年)に当時の芝区に新橋という町名が付き、昭和40年(1965年)になってようやく住居表示の町名として新橋の名称が落ち着くようになりました。

鉄道の歴史

鉄道の歴史

明治維新が起こる前の新橋エリアは、江戸城を中心とした外濠や河川を利用し、江戸に入ってくる敵から江戸城を守る役割を果たす地域でした。
明治維新で江戸幕府が倒れ、明治政府になると、文明開化の象徴として鉄道が開発されます。
その始発駅になったのが新橋停車場でした。
駅舎は当時としては画期的な2階建ての石造りで、出発する列車と到着する列車が同時に停車できる島式のプラットホームが構築されたのです。
当時はまだ蒸気機関車でしたので、蒸気機関車の方向を変える転車台も設置されたほか、整備のための車庫なども設置されていました。
鉄道発祥の地として蒸気機関車が走っていた歴史から、現在の新橋駅にはSL広場があり、実物のC11形蒸気機関車が置かれています。
明治末期からは、品川から上野を結ぶ高架線を開発する事業が始まります。
これは、現在の山手線・京浜東北線にあたり、1914(大正3)年には現在の東京駅が開業しました。
高架線開通に伴い、高架線上の烏森駅が新橋駅となり、初代の新橋駅は汐留貨物駅として貨物列車が全国から集まる駅となります。
汐留貨物駅は、 東京の台所として全国からの物資が集まり、当時の築地市場まで線路が延ばされると、魚介類などが運ばれてきました。
時代が進み、物流が貨物列車からトラックへと変わっていくと、汐留貨物駅も役割を終え、オフィス街へと変貌を遂げていきます。

居酒屋街ができた歴史

居酒屋街ができた歴史

サラリーマンが憩う場所として、新橋に居酒屋街ができたイメージがありますが、実は居酒屋街の歴史はさらに古い時代にさかのぼります。
明治時代に新橋で鉄道を開通させるための工事をしていた時に、狸の巣が発見されました。
そこには3匹の子狸がおり、作業員たちが子狸のために小屋を作ってあげたというのです。
その小屋から成長した狸たちが巣立っていくと、空き家になった場所に人が集まるようになり、お酒を楽しむようになったと言います。
次第に、小屋の周辺には大衆酒場や小料理店などの飲食店が集まってきました。
この大衆酒場街は、狸小屋から発展した歴史から狸小路と呼ばれました。
狸小路の名は現在はなくなってしまいましたが、その歴史を受け継いでいるのが現在の新橋駅烏森口側に集まる居酒屋街です。
オフィスが増えていくにつれ、銀座口や汐留口側にも居酒屋街が広がっていき、サラリーマンの聖地と呼ばれるまでに発展していきました。

新橋芸者が今も活躍

新橋の歴史を語るうえで、もう1つ知っておきたいのが新橋芸者の活躍です。
サラリーマンの聖地や鉄道発祥の地のイメージが強く、あまり聞き慣れないかもしれませんが、新橋は東京を代表する花街の一つとして、「芸の新橋」として名を馳せていました。
東をどりなどの芸事で、群を抜いていたと言われています。
現在でも、新橋芸者が芸を磨いており、毎年新橋演舞場で東をどりの舞台を披露しています。
新橋花柳界の歴史は、江戸末期から始まりました。
武家の下屋敷が立ち並んでいた時代に、唄や踊りなどの芸と美貌を兼ね備えた師匠らが集まって芸能村が興されたという歴史が残されています。
幕末期には、各藩の御留守居役と呼ばれる武士たちの公儀をはじめ、ほかの藩との折衝、社交の場として新橋の花街が活用されていました。
明治時代になると、新橋の花街は日本一の社交場と称されるほどの賑わいを見せました。
明治政府の要人や要人たちを接待しようとする政財界人たちが、新橋の料理屋や待合と呼ばれる場所に集まり、新橋芸者が活躍します。
財界茶人たちも新橋で茶器や書画を披露し合う、御茶会を開く機会が増え、その席にも新橋芸者が活躍しました。
文化や芸術の目の肥えた人たちの場で唄や踊りを披露するため、新橋芸者はより一層の研鑽と教養を積むことが求められるようになります。
こうした歴史もあり、芸の新橋と称されるようになったのです。
現在、数は少なくなりましたが、新橋芸者として活躍する芸者がおり、新橋界隈や銀座の料亭などに呼ばれて芸を披露しています。

新橋の交通アクセス

新橋の交通アクセス

新橋駅には、JRは山手線と京浜東北線のほか、東海道線は2015年の「上野東京ライン」開通により宇都宮・高崎・常磐線(快速線)各線と直通になったのです。
また、地下には横須賀・総武快速線も運行されています。
駅の東側は、東海道新幹線が通過するほか、ゆりかもめの始発駅も存在。
さらに、地下鉄は東京メトロ銀座線と都営地下鉄浅草線が乗り入れるなど、複合的なターミナル駅の様相を呈しています。

新橋のオフィス賃料相場

坪単価は15,000円前後~50,000円前後と幅があります。
築年数の差や駅からの距離、設備などによって違いが出ますので、確認が必要です。

まとめ

新橋は鉄道発祥の地としての歴史があり、鉄道の発展や物流の発展とともに、次第にオフィス街へと変化していきました。
サラリーマンの憩いの場となる居酒屋街があり、サラリーマンの聖地として全国的に知られています。

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