明石町は東京都心の中央区に位置しますが、駅はなく、公園が多いゆとりを感じる地域です。
今回は、明石町がどのような地域なのか、その特徴や歴史を見ていきましょう。
目次
明石町の特徴
明石町は、東京都中央区の都心部に位置しながら、隅田川が近く公園なども多いエリアです。
また、明石町を標榜する駅はありません。
どのような地域なのか、特徴を見ていきましょう。
公園もある住宅街
明石町はマンションや団地なども多く、子どもたちが遊べる中央区立の公園も点在する地域です。
子どもたちが遊べる遊具が豊富なあかつき公園、近くを流れる隅田川と勝どき橋が望めるはとば公園や、バーベキュー施設も完備された築地川公園などがあります。
公園も多く、区立の小学校もあることから、小さなお子さまを持つファミリー層が多く暮らしています。
駅がない分、自転車で走る親子連れなどの姿もよく見かけられる地域です。
そびえたつ聖路加病院と聖路加タワー
明石町のランドマークともいえるのが、聖路加病院や聖路加タワーなど、聖路加関連施設です。
聖路加病院は救急病院でもあり、日々高度な医療を提供しています。
聖路加病院はキリスト系の病院なので、敷地内にはパイプオルガンを供えたチャペルなどもあり、患者さんや地域の方に解放され、コンサートが開かれることもあります。
聖路加病院に併設されている聖路加タワーは、オフィスや飲食店、スポーツクラブ、高齢者向け住居棟などが入る複合ビルです。
展望室からは、眼下を流れる隅田川が望め、夜になれば豊洲方面の夜景も見られるのが魅力です。
近隣には入院客のお見舞いなど、聖路加関連の方のニーズに応える花屋や青果店、服飾雑貨などを扱う店も点在しています。
リラックスできるリバーサイド
明石町は、隅田川に面した地域です。
隅田川には堤防がかけられ、隅田川テラスとして憩いの場やリフレッシュの場所になっています。
隅田川沿いを散歩したり、ジョギングをしたりして、運動不足の解消も可能です。
隅田川の堤防に立てば、豊洲エリアの未来都市のような高層マンション群が見られます。
そのほか、永代橋や勝どき橋など隅田川にかかる橋の光景、隅田川を走る屋形船などが一望でき、気分もリフレッシュできます。
明石町の歴史
ここからは、明石町がこれまでどのような歴史をたどってきたのか、町名の由来なども含めて見ていきましょう。
町名の由来
「明石」というと、兵庫県の明石市を思い浮かべる方も多いかもしれません。
実は、東京都中央区の明石町は、兵庫にある明石と無縁ではありません。
その昔、播州明石の赤穂藩浅野家の上屋敷がこの地に置かれたことが、地名の由来になったとされているためです。
当時の党首は、赤穂浪士の忠臣蔵に登場する浅野内匠頭長矩でした。
赤穂藩は、江戸幕府から上屋敷として、現在の明石町にあたる場所に領地を与えられました。
浅野内匠頭長矩は、時代劇でも度々描かれる殿中刀傷事件を起こし、切腹を命じられてお家断絶となってしまいます。
赤穂藩浅野家上屋敷は、鉄砲屋敷とも呼ばれており、現在でも聖路加病院の近くに碑が残されています。
お家断絶となった後の上屋敷は、幕府にいったん召し上げられますが、その後豊前中津藩奥平家の中屋敷となりました。
蘭学発祥の地
明石町は、豊前中津藩奥平家の中屋敷となったことで、新たな歴史が刻まれます。
江戸中期になると蘭医であった杉田玄白が、豊前中津藩の藩医前野良沢と、千住小塚原刑場で刑死人の解剖を行うことになったのです。
蘭学のテキストと同じことに感銘を受け、実際の解剖経験を経て、安永3年に「解体新書」を書き上げました。
また、解剖などのエピソードは明治2年に、福沢諭吉によって「蘭学事始」で紹介されています。
解剖に関わった前野良沢の自宅が、現在の聖路加病院旧館中庭内にあったことから、この地には蘭学発祥の地という記念碑が建てられています。
外国人居留地としての歴史
安政5年(1858年)に日米修好通商条約が締結され、江戸幕府は開国を迫られます。
神戸や長崎だけでなく、江戸でも貿易を行うために、外国人のための居留地を用意するように約束させられたのです。
その場所に選ばれたのが、隅田川の河口に広がる明石町です。
そして明治元年、現在の明石町エリアに築地居留地が設置されました。
築地居留地には洋館の住居や教会、学校などが作られ、異国の文化が入ってくるようになります。
東京の中でも独特の雰囲気を生み出し、異国情緒あふれる街並みが形成されました。
築地居留地ができたことで、イギリスやオランダの領事館をはじめ、各国の領事館も開設されました。
明治7年にはアメリカ合衆国公使館も開設されていますが、築地居留地は条約改正に伴い、明治32年に廃止されています。
学校の創設
明治元年に築地居留地が開かれた後、明治6年にはキリスト教禁止の高札も撤廃されました。
これを機に、築地居留地には13教派の伝道本部が設置され、教会やミッションスクールなどが次々に創設されていくことになります。
築地居留地からは、今でも名前を知られているミッションスクールが多く生まれました。
現在は別の場所に移転している大学がほとんどであるものの、始まりは明石町であり、多くの大学の誕生碑が今なお残されています。
明治3年(1870年)に開設されたA六番女学校は、日本で最初の女学校といわれています。
さらに、明治学院・青山学院・立教学院・女子聖学院・雙葉学園・暁星学園なども生まれていきました。
唯一クリスチャン系ではないのが慶応義塾大学ですが、福沢諭吉が「蘭学事始」を記した縁もあり、蘭学発祥地の明石町に最初の慶応義塾大学を創設したとされています。
聖路加病院の創設
ミッションスクールで、明石町に唯一残っているのが聖路加大学です。
それ以外の大学は、生誕の記念碑こそ残されているものの、それぞれ別の場所へと移転していきました。
現在の築地居留地跡に建っているのが聖路加国際病院であり、これは明治35年に米国聖公会の宣教師トイスラーが創立した病院です。
チャペルは昭和7年にアントニン・レイモンドが設計したもので、異国情緒を感じる象徴として今も残っています。
戦後はアメリカ軍が接収し、一時期は米軍極東中央病院として使用されていました。
その後、昭和30年(1955年)に返還され、平成4年に現在の本館が建設されています。
現在の聖路加病院は、最新設備を備えた最先端の大型病院となっていますが、チャペルなどの施設が当時の面影を残しています。
平成7年に起きた地下鉄サリン事件では、新病棟のエントランスを開放して多くの患者を受け入れました。
明石町を何となく散策しているだけでも、さまざまな歴史に触れられるのが魅力のひとつです。
明石町の交通アクセス
明石町には、鉄道の駅はありません。
最寄り駅は東京メトロ有楽町線の新富町駅、東京メトロ日比谷線の築地駅などです。
そのほか、都営バスや中央区のコミュニティバスを使えば、中央区内や勝どき方面にアクセスできます。
中央区役所が徒歩圏にあるので、事務所を構える際などに便利な地域です。
明石町のオフィス賃料相場
明石町の賃貸テナントの坪単価は、おおよそ12,000~14,000円前後です。
たとえば、12坪のオフィスで月額賃料18万円ほど、35坪で42万円ほどが目安になります。
ただし立地や築年数、設備などによっても賃料は変動しますので、あくまで目安程度に考えておきましょう。
まとめ
明石町は、外国人居留地として異国情緒ある街並みが形成された歴史を持ち、多くのミッションスクールの発祥の地にもなりました。
現在では、聖路加病院を中心にその歴史を感じられます。
隅田川のリバーサイドに位置し、自然にも触れられることから、仕事の息抜きができる場所が豊富です。