築地というと、豊洲市場に移転したものの築地市場のイメージが強いかもしれません。
今では場外市場に外国人観光客が殺到するグルメスポットの印象もありますが、築地はどんな街なのか、その特徴や歴史を紐解いていきます。

築地の特徴

築地は、移転前の築地市場と今も残る場外市場のイメージが強いですが、市場関連のスポットは築地の街からすれば極一部にすぎません。
魚市場の存在しか知らないと、築地がどんな地域なのか想像が難しいのではないでしょうか。
全国から魚介類などが集まる築地市場の名残りを残す場所以外の街並みも含めて、特徴を見ていきましょう。

場外市場から観光名所としての顔

かつて存在していた築地市場は、鮪の初競りをはじめ、全国から届く新鮮な魚が並ぶ市場でした。
鮪の競りなどの見学ツアーがあり、早朝から多くの観光客が訪れる場所でした。
築地市場の周辺には、一般の買い物客も買い物ができる鮮魚店や水産加工品を扱うお店、さらに精肉店や玉子焼き店、青果店なども集まり、鮨や海鮮丼が楽しめる飲食店などもひしめいています。
このエリアを築地場外市場と呼んでいます。
築地市場が豊洲市場に移転することで、どうなるかが問題でしたが、多くの店主がこの地に残りました。
豊洲市場とは距離が離れていますが、場外市場として新鮮な魚介類など多彩なグルメを提供し続けています。
新たな商業施設として、築地魚河岸が設置され、雨に濡れずに買い物ができるほか、場外市場で購入したものを持ち込んで食べることや調理できるテラス席なども設けられています。
豊洲市場と分断された場外市場が廃れてしまうのではと心配されていたのも事実です。
ですが、豊洲市場に併設される予定だった商業施設の設置が延期されたうえ、豊洲市場では一般観光客向けの見学ツアーなども開催されていなかったので、場外市場に国内外の観光客が集まるようになりました。
コロナ禍で人足が減った時期もあったものの、今では移転前以上に賑わいを見せているスポットです。
もっとも、2024年2月に延期されていた豊洲市場の新たな商業施設がオープンしたことで、いかに人を呼び込むか、今後が生き残りに向けた勝負となるでしょう。

オフィス街としての顔

オフィス街としての顔

築地は、市場の街のイメージが強いですが、オフィスも少なくありません。
場外市場の傍には、水産加工業者などの中小企業の事務所が多く見られます。
また、築地は銀座のすぐ隣のエリアですので、名の知れた企業の本社も多いのが特徴です。
たとえば、朝日新聞社や住友生命保険相互会社、電通、東映、松竹などがオフィスを構えています。

住宅街としての顔

築地場外市場や築地本願寺の周辺には住宅街も広がっています。
昔から残る戸建て住宅をはじめ、戸建て住宅を建て替えた低層の雑居ビルをはじめ、大きな通り沿いを中心に中高層のマンションも多いです。
もともとは水産加工業などを営んでいた自宅兼店舗が自宅だけになっている場合や事務所のみが残されているケースもあります。
住宅街の中に隠れ家的なレストランがあるのも築地の特徴です。

リバーサイドエリア

築地というと場外市場のイメージが強く、海産物中心に扱っていることから海のイメージを持たれますが、築地は隅田川に沿うリバーサイドエリアでもあります。
旧・築地市場のたもとにある、隅田川にかかる勝どき橋は、豊洲エリアや東京湾方面の夜景を楽しめる絶景スポットです。
勝どき橋を超えると晴海方面へとつながります。
築地に暮らすと隅田川沿いを散歩することやジョギングできるほか、築地にオフィスを借りると、立地によっては隅田川や勝どき橋、美しい夜景なども望めます。

築地の歴史

築地は魚市場のイメージが強いですが、ずっと市場があったわけではありません。
どのような歴史を持つのか見ていきましょう。

埋め立てでできた地域

築地は実は海でした。
明暦の大火で江戸の街が焼けてしまった後、江戸幕府の復興計画により、江戸時代の1657年(明暦三年)、隅田川から東京湾へとつながる隅田川河口エリアを埋め立てて作られました。
海を埋め立てたといっても、魚市場が築かれるのはずっと先のことで、埋立地は武家屋敷として使われていたのです。
この頃、もとは横山町辺にあった本願寺も火災で焼失し、築地へと移っていきます。
これが現在の築地本願寺の歴史の始まりです。
もっとも、海の埋め立て工事は一筋縄ではいかず、堤防を築いても築いても激波にさらわれるという困難が続いていました。
その際、海の中から稲荷大神の御神体を引き上げ、社殿を造ってお祀りすると波風が収まり、埋め立て工事が無事に完成したと言います。
この御神体が祀られているのが、場外市場の一角にある波除神社で、現在でも地域の方に厄除けや安全祈願の神様として親しまれています。

武家地として発展

江戸時代の築地は魚市場とは無関係で、埋立地のほとんどが武家地でした。
大名の別荘地である中屋敷や下屋敷が集まり、下級武士の邸宅も点在していました。
その後、築地市場になった場所は、寛政の改革で有名な老中の松平定信の下屋敷があったエリアです。
松平定信は政権を退いた後、この地に2万坪にわたる浴恩園と呼ばれる豪奢な庭園を築いて隠居生活を楽しんでいたようです。

関東大震災と戦後復興

大正時代の1923年に発生した関東大震災は東京を消滅させるような被害をもたらしましたが、これをキッカケにまだ残されていた江戸の名残りも消えたと言われています。
築地エリアも例外ではなく、震災後の復興計画で大きく変貌を遂げていきました。
その代表例が、日本橋にあった魚河岸が、震災で焼失したことで、築地へと移転してきたことです。
築地市場の歴史の始まりです。
その後の第二次世界大戦により、築地市場は戦時中の統制を受けましたが、終戦とともに息を吹き返し、全国の魚が集まる大市場へと発展を遂げ、世界最大の水産物流通量を誇るまでに至りました。

現代の変化

現代の変化

築地市場と場外市場、市場関係者の水産加工業者などが集まり、築地本願寺の門前町として下町風情も残っていた築地が大きく変化したのは、2000年(平成12年)の都営大江戸線築地市場駅の開通です。
若い観光客も増えるとともに、マンションが建ち、高層のオフィスビルも建設されていきました。
さらに、揺れに揺れた築地市場の移転が、2018年(平成30年)についに終結します。
築地市場がなくなってからも、場外市場は観光スポットや築地のオフィスワーカーのランチや業後にお酒を飲む場所として賑わいを見せています。

築地の交通アクセス

築地の交通アクセスは、東京メトロ日比谷線の築地駅と都営大江戸線の築地市場駅が使えます。
少し歩けば、銀座方面にすぐに出られるので東銀座駅や銀座駅も使うことができます。
晴海方面から銀座や東京丸の内方面へつなぐ都バスや中央区のコミュニティバスなども走っており便利です。

築地のオフィス賃料相場

坪単価は10,000円前後~12,000円前後が相場です。
たとえば、22坪のオフィスで月額賃料24万円、35坪で42万円程度の物件があります。
銀座に隣接するエリアながら、築地ということで比較的借りやすい賃料になっているのが魅力です。

まとめ

築地は最初から魚市場があったわけではなく、もともとは江戸時代にできた埋立地でした。
関東大震災を経て日本橋から魚河岸が移転してきたのが、築地市場の始まりです。
現在では豊洲市場へと移転しましたが、場外市場は残り、観光スポットとして人気を集めています。
都営大江戸線や日比谷線も使えることから、オフィスビルも増え、銀座のお隣エリアながら手頃感があるのも魅力です。

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