この記事では、奥戸とはどのような地域か、特徴や歴史、交通アクセスなどをご紹介しますので、参考にしてください。
目次
奥戸の特徴
奥戸は東京都葛飾区の町名の一つで、隣接するエリアとして、テレビ番組などでもしばしば取り上げられる新小岩の近くにあたります。
新小岩はテレビ番組などでも登場する機会があるので、行ったことはなくても聞いたことはあるという方は多いと思います。
奥戸は、新小岩駅から見ると北東エリア、もしくは京成線の青砥駅から南へ向かい、中川という川を超えたエリアです。
地図的に見ると、青砥、亀有、小岩、新小岩などに囲まれたようなエリアになります。
中川と新中川に挟まれたエリアで親水公園や河原などを利用した運動場などが充実しています。
スポーツができるスポットが多い
奥戸は、全国的には知られていませんが、葛飾区で生まれ育った人や暮らしている人にとっては、名前は知っている、もしくはよく行くエリアでもあります。
なぜかというと、スポーツ施設が充実しているためです。
スポーツが好きな人やよく体を動かす人なら、奥戸はよく足を運ぶエリアになります。
野球場、テニスコート、温水プールを備えた施設、体育館や陸上競技場、トレーニングルームを備えた施設などがあり、広々とした競技場や練習場、整った設備などを区民や勤務する人なら安く利用できるケースもあるので、葛飾区民には奥戸といえばスポーツというくらい知られています。
バスでの移動が基本
奥戸には、鉄道駅がなく移動はバスが基本になります。
新小岩駅や亀有駅のバスが中心ですが、バス停は有名な区の施設などがあるエリアをはじめ、住宅街などにもバランス良く配置されているので、慣れてしまえば不便ではありません。
田舎と違い、バスの本数もあるので、長く待たされることもありません。
ただし、鉄道と異なり、終バスの時間が早いので、夜遅くまで残業するのは注意が必要です。
最終のバスが出るまでに仕事を終わらせることになり、業務が効率的で生産性が上がることや残業が減らせるなど、働く人にも企業側にもメリットが生まれる可能性もあります。
青砥駅や小岩駅近辺などに駐輪場を借り、オフィスまで自転車で往復するなら、よりエコに通えて、運動不足解消にもなります。
下町風情が残る街
奥戸の雰囲気は、隣接する青砥や小岩、新小岩などと似ていて、下町風情が残る庶民的な雰囲気がする街です。
駅がない分より落ち着きがあり、住宅街を歩くとレトロな雰囲気を感じる方もいるかもしれません。
奥戸の歴史
奥戸はどのような歴史を辿ってきたのでしょうか。
実は歴史は古く、奥戸という地名は約620年前の室町時代の資料にも登場しています。
地名は、元は奥津と言い、津と呼ばれていた港や船着き場があったエリアに由来しているのです。
中川を挟んだ対岸の立石村との間に渡し船があったことから、津の奥にあるエリアとして奥津と言われ、やがて津が戸に変遷したと考えられています。
江戸時代は地域をまとめていた
江戸時代には奥戸村があったと伝わっており、現在の奥戸エリアをはじめ、新小岩や小岩、鎌倉、細田、高砂などのエリアを網羅していた地域であったようです。
明治時代に入り、1889(明治22)年の市制町村制により、奥戸村と上小松村・下小松村・奥戸新田・曲金村・細田村・鎌倉新田・上平井村などが統合され、奥戸村となりました。
江戸時代や明治時代には、地域をまとめるような知名度の高い地域だったことがわかります。その後、奥戸村は、1932(昭和7)年10月1日の市郡併合により奥戸町になっています。
農村地帯だった
1930(昭和5)年の葛飾区史の資料によれば、奥戸村では農業従事者が37.8%を占めており、約4割の方が農業に従事していました。
葛飾区民に親しまれている奥戸の総合スポーツセンターがあるエリアは、古くは葦が茂る湿地帯で、奥戸や奥戸新町の人たちの共有地だったと伝えられています。
葦は、当時は主流であった茅葺屋根の材料となり、栽培する野菜を保護する風除けや霜除けに使うことができたので、共有地の権利のある家で分けられていました。
農家では、野菜を霜や冷たい風から守るために、冬に向けて家族総出で葦簀編みをしていました。
下肥の船溜まり
現在の中川に架かる奥戸橋の上流には、中川から西井堀に入る水路が開かれていました。
その水路を東京の都心部から運ばれる下肥が、水路を通じて運ばれることもあったと言われています。
西井堀は水元小合溜井を水源とする農業用水でとてもきれいな水でした。
水路を曳き船代わりに利用して、下肥を運び入れては、共同貯留槽に入れて地域の農家が必要な時に使っていたのです。
江戸時代から大正時代にかけては、下肥は汲み取る側がお金を払って買い取るのが基本でした。
ですが、昭和10年頃からは、汲み取り券をもらい、区役所に持って行ってお金に換える方式に変わります。
奥戸には、この下肥の売買を副業として行う農家が多く見られ、「船一艘は土地一町と同じほどの収益があがる」と積極的に行っていた裕福な農家もあったほどです。
ほおずきと熊手
奥戸は、夏野菜の栽培が盛んで、ナス・きゅうり・シロウリ・トマトなどが主な生産物でした。
こうした野菜や米などを生産する農作業の合間に、ほおずきを育てて副収入を得ている農家が多かったのも奥戸の特徴です。
葛飾区内で、特にほおずきづくりが盛んになった時期は、戦後の昭和20年代で、奥戸には15軒ほどほおずきを作る農家があったという記録が残っています。
このほおずきはどう販売されるかというと、浅草の浅草寺で毎年7月の9日と10日開催されるほおずき市に風鈴付きの鉢植えとして出品されます。
現在でも、ほおずき市のイベントは多くの観光客や地元客で賑わいますが、当時はわずか2日間で、半年ほど暮らせるほどの収入が得られたということで、農家にとって貴重な収入源でした。
一方、酉の市で販売される熊手を作る農家も何軒かあり、東京の年中行事で売買される際物を製造販売することで、副収入を得ていた農家が多かったことがわかります。
奥戸の交通アクセス
奥戸には、奥戸を冠する最寄駅はありません。
立地により、京成本線または京成押上線の青砥駅や京成押上線の立石駅が最寄駅として使えるエリアもあります。
かなり歩きますが、JR総武線の小岩駅に出ることも可能です。
鉄道駅は遠いので、主な交通手段は京成バスか京成タウンバスです。
奥戸エリアには、複数のバス停があり、新小岩駅や亀有駅、市川駅と結んでいます。
そのため、バス停から新小岩駅に出てJR総武線と乗り換える、亀有駅に出てJR常磐各駅線に乗り換えて移動が必要になります。
京成タウンバスは、JR総武線の市川駅まで結ぶ便もあるので、市川方面にお住まいの方なら、バス停の最寄駅によってはバスで直接通勤することも可能です。
奥戸のオフィス賃料相場
奥戸の賃料相場の坪単価は9,000円前後です。
立地や最寄駅からの所要時間や周辺環境、オフィスビルの築年数やグレード、設備や広さによっても変動しますので確認が必要です。
まとめ
奥戸は、バスでの移動が基本となり、交通アクセスは良いとは言えませんが、その分オフィスの賃料も安いです。
スポーツができる施設や場所が充実しており、下町風情が残る暮らしやすい場所でもあるので、営業や商談などの移動が少ない業種や葛飾区で落ち着いてビジネスをしたい企業などにおすすめです。
【新小岩・奥戸】の賃貸オフィスはこちらから。
https://www.tokyo-jimushosagashi.com/area/320