湯島というと、学問の神様として知られる湯島天神があり、合格祈願に訪れる受験生が訪れ、梅が美しいことでも有名です。学生時代に受験祈願に参拝に訪れた経験がある方も多いかもしれません。

湯島天神の周辺をはじめ、湯島はどのような地域なのか見ていきましょう。

湯島の特徴

湯島は東京都心部に位置する地域ですが、歴史も深く、他の都心部に比べると高層ビルや大型商業施設なども建設されず、老舗の飲食店や和菓子店などが残っている地域です。
下町風情が漂うような、大正ロマンなども感じられる、どこか心落ち着く雰囲気をまとっています。

合格祈願の聖地

湯島といえば、湯島天神を思い浮かべる人が多いほど、湯島天神は地域のランドマーク的なスポットです。
学問の神様として知られる菅原道真公が祀られており、年末年始から春先の受験シーズンには多くの受験生や親子連れをはじめ、受験生に代わって訪れる祖父母などの姿であふれています。

梅の名所

梅の名所

湯島天神の境内には梅の木が植えられており、例年2月頃に美しく可憐な花を咲かせます。
菅原道真公の梅の御紋に由来しており、東京の都心部に位置しながら、梅の季節にお花見が楽しめるのが魅力です。2月頃はまだまだ寒い時期ですが、一足早く、春の訪れを感じることができます。

老舗が残る地域

湯島天神の歴史は長く、古くより多くの参拝客が訪れる場所であったことから、周辺には参拝客をもてなす飲食店や土産物店などが集まっていました。

江戸時代など古い時代から受け継がれてきた老舗店が、まだ残っているのも魅力です。鰻屋やそば屋・天ぷら店、和菓子店などの老舗があります。中には歴史的に有名な文豪が足しげく通った名店などもあり、予約が取りにくい人気店も少なくありません。

文教エリア

湯島には学問の神様として知られる湯島天神をはじめ、江戸幕府が創設した学問所である湯島聖堂があった歴史もあり、古くより学問を志す多くの若者が集まっていた地域です。

日本の最高学府である東京大学の本郷キャンパスにも近い立地であることから、現在でも文教エリアとして知られています。近隣には進学塾なども多いほか、湯島エリアのマンションは小中学生や高校生などの学生がいるファミリーに人気です。

子どもや学生の姿をよく見かける地域なので、治安も良く、落ち着いた環境であるのが魅力です。

湯島の歴史

では、湯島はどのような歴史を歩んできた地域なのでしょうか。
歴史ある建物が残ることから、古くからこの地が発展してきたことが分かります。湯島の歴史を紐解いていきましょう。

湯島天神の歴史

湯島のシンボル的な存在である湯島天神は歴史が非常に古い神社です。
458年に雄略天皇の勅命により、天之手力雄命を祀る神社としてに創建されたと伝わっています。菅原道真公が祀られるようになったのは、南北朝廷時代の文明四年(1355年)と言われています。

室町時代に入ると、太田道灌が社殿を再興しました。さらに江戸時代には徳川幕府から庇護を受けたことで、発展を遂げていきます。

その後、明治18年に社殿が改築されましたが、老朽化が進んだことから、平成7年(1995年)に総檜造りの社殿へと生まれ変わりました。湯島天神の鳥居は寛文7年(1667年)創建の銅製で、東京都指定有形文化財になっています。

湯島聖堂の歴史

湯島聖堂は江戸幕府直轄の学問所としての歴史を持ちます。

学問に深い見識があった5代将軍の徳川綱吉が、元禄3年(1690年)に湯島に聖堂を創建し、儒学者である林羅山の私邸にあった廟殿と林家の家塾を移転させ、学問所を創設しました。

大成殿には、孔子の像や四賢像(顔子、曽子、思子、孟子)など学問に所縁が深い人物の像が祀られています。
創建から100年後の寛政9年(1797年)になると、湯島聖堂は幕府直轄学校である昌平坂学問所となりました。

明治期以降の湯島聖堂の変遷

明治維新を迎え、江戸幕府が倒れると、湯島聖堂と昌平坂学問所は明治政府が所管するようになります。

明治4年(1871年)になると学問所は閉校となり、明治政府のもとで文部省が置かれました。同年に日本初となる博物館(現在の東京国立博物館)も、この場所に設置されています。

明治5年(1872年)になると教員育成のための東京師範学校と、我が国初の図書館である書籍館が置かれました。さらに明治7年(1874年)には東京女子師範学校が設置されています。

東京師範学校は明治19年(1886年)に高等師範学校へ昇格し、東京女子師範学校も明治23年(1890年)に高等師範学校に昇格しました。その後、大学へと発展し、現在は場所を移転していますが筑波大学とお茶の水女子大学になっています。

昭和初期になると、2つの高等師範学校が移転した跡地に、官立の東京高等歯科医学校が移転してきています。

現在は東京医科歯科大学湯島キャンパスになっており、学問の聖地としての歴史と伝統が受け継がれてきました。つまり、昌平坂学問所は江戸幕府が倒れてからも、学問の聖地として発展を遂げていったのです。

湯島聖堂のその後から現在

湯島聖堂のその後から現在

湯島聖堂は大正11年(1922年)に国の史跡に指定されましたが、翌年に起こった関東大震災で被災し、入徳門と水屋の一部以外は、すべて焼失してしまいました。

湯島聖堂の復興は、昭和10年(1935年)工学博士である東京帝国大学伊東忠太教授により寛政時代の旧制を模して設計され、鉄筋コンクリート造りの建物として再建されています。第二次世界大戦の空襲で焼けることなく残されており、現在も当時の建物が残されているのです。

昭和61年(1986年)になり、湯島聖堂を維持するべく、文化庁による保存修理工事が開始され、平成5年(1993年)に完了しています。

文教エリアとしての発展

古くより学問と所縁の深い場所であり、現在でも東京医科歯科大学をはじめ、近隣にはお茶の水女子大や東京大学、順天堂大学医学部などが集まっており、文教エリアとして発展を遂げてきました。

湯島の交通アクセス

湯島には東京メトロ千代田線の湯島駅があります。

千代田線を使うと、大手町駅や日比谷駅、霞ヶ関駅をはじめ、国会議事堂前駅や表参道駅などオフィス街や官庁街に出やすいため、ビジネス利用に便利です。また、代々木上原方面や北千住方面、さらに常磐快速とも繋がっています。

通勤にも使いやすい路線なので、湯島駅にオフィスがあると、人材採用などにも有利に働きます。湯島の立地によってはJR線の御茶ノ水駅や御徒町駅、東京メトロ銀座線の御徒町駅や末広町駅も徒歩圏です。

JR中央線や総武線、山手線が使えるので都内をはじめ、千葉方面や東京西部とのアクセスもしやすくなっています。銀座線を使えば東京中心部のオフィス街や商業エリアにも出やすく、交通アクセスも便利な地域です。

湯島のオフィス賃料相場

湯島のオフィス賃料相場の坪単価は20坪~30坪のオフィスで14,000円、30坪~50坪のオフィスで16,700円、50坪~100坪のオフィスで18,000円、100坪~200坪で22,000円前後となっています。
立地や駅からの距離、築年数や設備、広さによっても変動しますので、確認が必要です。

まとめ

湯島は湯島天神や湯島聖堂があり、歴史も深い文教エリアです。湯島駅からは大手町駅や霞ヶ関駅に出やすく、オフィス街や官公庁街にも出やすいのでビジネスに役立ちます。

文教エリアとして落ち着いた環境があり、交通アクセスも便利なので、オフィスを構えるにもおすすめの地域です。

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