深川と聞いて、どのようなイメージをお持ちでしょうか。
深川不動堂や深川鍋、深川めしなどがイメージされ、下町の印象が強い方も多いかもしれません。
深川の街の特徴や歴史を見ていきましょう。

深川の特徴

深川は、東京都江東区の一角にあります。
深川という駅はないため、どのあたりか分かりにくいかもしれません。
ランドマークとなるのは、深川不動堂や富岡八幡宮です。
これは、門前仲町駅からすぐの場所にある、2つの寺院や神社です。
深川不動堂の裏手、深川不動堂や富岡八幡宮の背後に位置するエリアが、現在は深川という地名を残すエリアになっています。
どのような地域なのかを見ていきましょう。

深川不動のある地域

深川不動のある地域

深川不動堂は、江戸時代の元禄16年に創設されたといわれる、歴史あるお寺です。
毎年、節分に有名人を呼んで、大規模な豆まきが行われます。
全国的にも有名な千葉県にある、成田山新勝寺の東京別院の位置づけです。
成田山の御本尊を江戸に奉持して特別拝観したことに由来し、古くから江戸の人たちに深川のお不動様と親しまれてきました。
現在でも参拝に訪れる人をはじめ、すぐお隣にある富岡八幡宮とともに、国内外からの観光客が訪れるスポットになっています。

深川めしの歴史が残る街

深川めしの歴史が残る街

深川不動堂のある門前仲町の門前町沿いを歩くと、深川めしや深川鍋の看板を掲げている飲食店が数多く見られます。
深川不動堂や富岡八幡宮を訪れる参拝客や観光客が訪れるお店で、昔懐かしい歴史を残す深川めしが楽しめます。

深川めしは江戸時代に生まれ、東京に残る郷土料理の1つです。
江戸時代、現在流れている大横川の一部は、深川浦と呼ばれていました。
深川浦では、潮が引くと砂州が広がり、アサリやハマグリ、アオヤギなどの貝類が豊富に獲れ、界隈は漁師町になっていました。
深川浦で獲れた生のアサリに、ネギを加えて味噌でさっと煮て、汁ごとご飯にかけたものを深川めしと呼んでいます。

隅田川を挟んですぐの浅草では、深川めしを売る屋台がひしめいていました。
それを食べて美味しさを知った庶民たちが、真似をして作るようになり、一般家庭でも深川めしの食べ方が定着したのです。
また江戸時代より、アサリを殻付きではなく、ぬきみと呼ばれる殻からはずした身だけが販売されていました。

ぬきみをご飯に炊き込む、アサリの炊き込みご飯も生み出され、人気の食べ方になります。
江戸時代には、保温する炊飯器などはなかったので、冷めた炊き込みご飯を温かく食べるために、熱い汁をかけて食べるという食べ方も普及していきました。
これは、汁かけ飯と呼ばれるもので、元来の深川めしとは別物です。
しかし現在では、アサリとネギを味噌で煮たものをご飯にかけるぶっかけタイプと、アサリの炊き込みご飯タイプのいずれもが深川めしと呼ばれています。

飲食店ごとに、いずれかのタイプが深川めしとして提供されているのです。
さらに、アサリとネギを味噌風味で煮ただけで、ご飯にかけないタイプを深川鍋と呼んでいます。
深川鍋は、ご飯と別々に食べたい方や、お酒のアテとして人気です。
戦後、深川浦のあったあたりでは、急速な都市化などの影響で水が汚れて、貝類も棲みにくくなりました。

さらに、埋め立て工事も進められたことで、昭和30年代に漁業権が放棄され、深川浦の漁場は失われました。
しかし、歴史を継承したいという地域の方の活動などにより、深川めしが郷土料理として飲食店などで提供されるようになっています。

下町情緒が残っている

下町情緒が残っている

現在の深川は、深川不動堂の裏手エリアに広がる閑静な住宅街です。
深川を含め、門前仲町界隈のエリアは、東京の都心部に近い場所に位置しています。

しかし、駅を降りるとほかの都心の駅とは異なり、どことなく下町情緒が漂い、昔懐かしいような雰囲気を感じるエリアです。
行き交う地元の人たちが気軽に挨拶をし合ったり、飲食店や商店の前を通ると「食べていって」「今日はこれがおすすめ」と気さくに声をかけてくれたりします。
そんな下町情緒が残っているのが、深川の魅力です。

深川の歴史

深川はどんな歴史をたどってきたのか、見ていきましょう。

江戸時代の深川のはじまりと発展の歴史

深川が位置したエリアは、隅田川河口のデルタ地帯でした。
江戸時代の慶長年間に、深川八郎右衛門という人物が埋め立てを行って開発し、深川村を作ったことが地名の由来といわれています。
1657年に、江戸を焼き尽くすような大被害をもたらした明暦の大火が発生した後、深川エリアの市街地化が急速に進んでいきます。

隅田川と隔てたエリアにあったため、火災の影響が少なかったのです。
隅田川に1661年に両国橋、1963年に新大橋、1698年に永代橋が続々と架けられていったことから、深川へのアクセスが便利になっていきました。

隅田川以西にあった寺院が移転してきたり、武家の別邸がどんどん増えたりします。
その当時の長屋などが密集した下町エリアに比べると、海岸や河口が広がる自然の多いエリアであり、永大橋から眺める深川の景色が風光明媚で美しいと話題を集めました。
絶景が広がるスポットとして注目を集め、保養地として豪商の別荘も増えていったという歴史を残しています。

工場地帯への変貌

明治時代に入ると、海岸や河口に近い深川エリアは、次第に工場地帯へと変貌を遂げていきました。
明治時代後期の明治40年代には、東京ガスや浅野セメント、東京紡績、日本製粉など、現在にも名を残す企業の前身がこの地に工場を構えています。
明治時代の富国強兵政策の一環として、世界に名をはせるほどの主力産業となる紡績業をはじめ、製糸業やセメント業などの工場が集積していったのです。

さらに、大正時代末期の1920年代頃には、さらに工場が増えていきます。
時代の変化に伴い、石川島造船所の自動車工場をはじめ、造船や鉄鋼、機械などの重工業の工場が増えていきました。
藤倉電線深川工場を筆頭に、従業員数300人以上の大工場が増えた一方で、中小の町工場も続々と深川区やその周辺に集まっていきました。

都市化の進行

大正時代になるとこの地に路面電車も通り、都市化が進んでいきましたが、東京大空襲で深川区のほぼ全域が焼失し、死者はなんと3万人以上に上りました。
戦後、1947(昭和22)年には深川区と城東区が合併して、現在の江東区が誕生しています。

戦後もしばらくは工業地として賑わいを見せていましたが、東京への人口集中とともに都心部に近い立地を活かし、工場の広大な敷地が団地やマンションなどの集合住宅に生まれ変わりました。
住宅が増えるにつれ、学校や大型商業施設などへと工場が姿を変えていきました。

深川の交通アクセス

深川の交通アクセス

深川には、地域名を冠した深川駅はありません。
オフィスの立地により、東京メトロ東西線の木場駅、門前仲町駅、東京メトロ半蔵門線と都営大江戸線が通る清澄白河駅などを使えます。
東京メトロ東西線は、茅場町駅や日本橋駅、大手町駅をはじめ、竹橋駅や九段下駅、飯田橋駅などオフィス街とつながっており、営業や商談などに出向くのに便利です。
また中野駅や、逆方向では葛西駅や浦安駅、行徳駅、西船橋駅など、千葉県でも東京のベッドタウンとして人気が高い駅とダイレクトにつながっています。

通勤にも便利で、人材採用にも有利に働きます。
東京メトロ半蔵門線を使えば、永田町駅や青山一丁目駅、表参道駅、渋谷駅までダイレクトに行けて、錦糸町駅や押上駅もすぐです。
都営大江戸線を使えば、勝どき駅や汐留駅、大門駅、六本木駅にもダイレクトに行け、新宿駅や都庁前まで出られるので、ビジネスシーンにも活躍します。

深川のオフィス賃料相場

深川の賃料相場の坪単価は、10,000円前後です。
立地や最寄駅、利用できる路線、最寄駅からの距離、築年数や設備、周辺環境によっても変動するので、確認が必要です。

まとめ

まとめ

深川は下町のイメージがありますが、実は工業地帯として発展してきた歴史もあります。
工業地帯から住宅街へと変貌してきた歴史を持つ地域で、周辺エリアの下町風情を引き継ぎ、下町情緒を楽しめるエリアです。

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