上野というと、日本でも有数のターミナル駅があるイメージや、春の花見のイメージなどがあるでしょう。
また、上野動物園や国立博物館などが集まる上野公園がある街、師走に多くの買い物客が集まるアメ横がある街など、人によってさまざまなイメージをお持ちかもしれません。
上野はどのような特徴や歴史があるのか、見ていきましょう。

上野の特徴

上野は、全国でも有数の一大ターミナル駅がある上野駅をはじめ、上野公園やアメ横などの有名なスポットもあります。
どのような特徴がある街なのか、確認していきましょう。

東日本の拠点

東京の拠点駅というと、東京駅をイメージされる方も少なくありません。
しかし、関東地方をはじめ、東北地方や上越地方、さらに北陸地方などの東日本を中心にしたエリアと、首都である東京をつなぐ拠点となっているのは上野駅です。
今でこそ新宿駅や品川駅など多くのターミナル駅ができていますが、昭和の時代に東日本エリアから上京して、初めて降り立つ東京の地は上野駅でした。
故郷へと戻る際も上野駅が利用されることから、上野駅は懐かしい故郷と、東京をつなぐ思い入れのある拠点となっていたのです。
演歌や歌謡曲の歌詞にも、上野駅の駅名や地名がしばしば登場しています。

上野公園がある街

上野公園がある街

上野駅を降りると、広大な上野公園が広がっています。
上野公園は庭園や遊び場が広がるだけの場所ではなく、さまざまな文教施設が集まっているのが特徴的です。
春には、都内有数のお花見スポットとして多くの人が訪れ、桜の木の下で場所取りをしたり、夜桜見物を楽しんだりします。
犬を連れた西郷隆盛像と記念撮影をしたり、不忍池でボートに乗ったりするなど、気軽な散策も楽しめます。

一方、上野公園には都立や国立の文教施設が集まっているので、幅広い層の方がそれぞれの好みや目的に合わせて、訪れる楽しみがある場所です。
子ども連れに人気の上野動物園や国立科学博物館、東京国立博物館があります。
さらに、芸術作品に親しめる国立西洋美術館や東京都美術館、上野の森美術館、東京藝術大学大学美術館、クラシックコンサートやオペラ、バレエなどが楽しめる東京文化会館などがあります。
展覧会の内容などによっては、多くの人が行列をなすなど、開館前から多くの人が訪れるエリアです。

アメ横がある街

アメ横がある街

上野公園と並んで有名なのが、アメ横です。
年末年始の買い物客で賑わう師走の光景は、年末のテレビニュースの恒例映像になっています。
アメ横には、海産物など生鮮品を扱うお店から、お菓子や乾物、加工食品などを扱うお店、飲食店などが集積しています。

安売りをするお店が多く、バナナのたたき売りをはじめ、お菓子のたたき売りなどが行われたり、値段交渉ができたりするなど、楽しく買い物ができるのが特徴です。
テレビのニュースでは年末の賑わいばかりが報道されますが、常に賑わいがあり、最近では外国人観光客からも人気のスポットです。

上野の歴史

上野の歴史を江戸時代に遡って、紐解いていきましょう。

寛永寺と上野公園のはじまり

寛永寺と上野公園のはじまり

徳川家康が江戸に入城して江戸時代がはじまると、江戸城の鬼門にあたる上野の山に、江戸の町を守る目的で寛永寺が創設されました。

しかし、江戸幕府が倒される戊辰戦争により、上野の山は寛永寺の堂宇を含めてすべてが焼失し、焼け野原になってしまいます。
そして、明治維新を迎えると、焼け野原になった上野の山一帯は、日本政府によって没収されることになりました。
没収された上野の山の地は、明治6年に日本初の公園となる上野公園として、整備されることになります。

さらに明治時代には、日本鉄道によって東京から北へ向かう鉄道が開設され、その始発駅として上野駅が設置されます。
上野駅が国鉄の駅になってからは、北の玄関口として、一大ターミナル駅へと成長していきました。

文化や芸術が集まる上野公園

文明開化の明治時代になり、上野公園にはさまざまな施設が開設されていきました。
1877(明治10)年には国立科学博物館の前身となる教育博物館、1882(明治15)年に東京国立博物館の前身となる博物館が移転してきたほか、1887(明治20)年には東京藝術大学の前身である東京美術学校も開校します。
さらに、1882(明治15)年に上野動物園ができ、1898(明治31)年には西郷隆盛像も設置されました。

震災の発生と復興

1923(大正12)年9月1日に関東大震災が起こると、上野エリアも火災により焦土と化します。
しかし、広大な上野公園は周囲からの延焼の可能性も少なく、大地震が起きても西郷隆盛像もビクともせず立っていました。
被災者たちが上野公園へと避難し、政府も上野公園内に1万棟もの仮設住宅を用意し、配給所や託児所、病院なども設置されるに至ります。
1926(大正15年)年には、日本初の公立美術館として、現在の東京都美術館である東京府美術館が開館し、震災からの復興を成し遂げました。

地下鉄の開通と戦争

昭和に入り、昭和2年に東洋圏では、初めての地下鉄が上野と浅草間に開通します。
1931(昭和6)年には、ネオ・ルネサンス様式の近代建築として、現在の国立科学博物館となる東京科学博物館が開館しました。
しかし、第二次世界大戦がはじまり、1943(昭和18)年には空襲に備え、上野動物園ではゾウやライオン、トラ、クマ、ヒョウといった猛獣の殺処分が行われました。

空襲で上野は再び焦土と化しますが、そこに闇市ができ、現在のアメ横のルーツとなります。
焦土と化した上野の山を復興させるため、地域の人たちが尽力し、1,250本の桜を植えました。
この桜は現在、東京有数の花見スポットとなっているものです。

戦後の復興

昭和30年代になり、戦後の復興とともに、上野駅は北陸や東北から集団就職で上京してくる若者たちの玄関口となっていきます。
上野公園では、1954(昭和29)年に国立西洋美術館ができ、1961(昭和36)年には東京文化会館、1972(昭和47)年には上野の森美術館が開館しました。

この年、日中国交正常化記念事業として、上野動物園にパンダのランランとカンカンがやってくると、日本中にパンダブームが沸き起こり、上野動物園は連日多くの人で行列ができるようになります。
このときから、上野はパンダというイメージが定着するようになりました。
平成に入ってからも、上野公園には1998(平成10)年に法隆寺宝物館、1999年(平成11)年に東京国立博物館平成館と、東京藝術大学大学美術館などが続々と開館し、文化、芸術に親しめるスポットとして発展を続けています。

上野の交通アクセス

上野の交通アクセス

上野には上野駅があり、JR各線をはじめ、東京メトロ銀座線と日比谷線も使えます。
都内をはじめ、関東エリアや遠方への出張までアクセスは便利です。
千葉や神奈川、茨城、栃木、群馬などからのローカル線や特急も通っているので、上野にオフィスがあると通勤もしやすく、人材採用にも役立ちます。
北陸新幹線、東北新幹線、上越新幹線も発着するので、東日本エリアへの出張もスムーズです。

山手線や京浜東北線が使えるので、都内での商談や営業などにも出やすいです。
東京メトロ銀座線を使えば、銀座や新橋、赤坂見附、青山一丁目や表参道、渋谷までダイレクトアクセスできます。
東京メトロ日比谷線を使えば、日比谷や六本木をはじめ、神奈川の日吉方面や逆方向では北千住を抜け、東武伊勢崎線と直通運転をしているので、草加や春日部などの埼玉方面や東武動物公園などへも行けます。

上野のオフィス賃料相場

上野の賃料相場の坪単価は、30坪~50坪のオフィスで20,000円台、50坪~100坪のオフィスで22,000円前後、100坪~200坪で23,000円前後、200坪以上のオフィスで15,000円前後となっています。
立地や築年数、最寄り駅や駅からの距離、設備や周辺環境によっても変動するので、確認が必要です。

まとめ

上野駅は北の玄関口と呼ばれ、上野は東日本エリアの拠点として、古くから機能してきた街です。
文教施設がそろった上野公園があり、春の花見客をはじめ、子ども連れや文化、芸術が好きな人まで幅広い方が集まる街でもあります。
安売りや大量売りで有名なアメ横は、年末の買い物スポットとしてはもちろん、外国人観光客からも人気のショッピングゾーンになっています。

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