墨田区文花は、住宅街と中小の町工場などが混在した地域です。
下町風情が漂う場所ですが、専門大学ができたことで新しい風が吹き始めました。
文花の街の特徴や歴史を見ていきましょう。

文花の特徴

文花は、明治通り、十間橋通り、北十間川に囲まれたエリアで、古くは工場地帯として発展してきましたが、昭和40年代に都営住宅などができたことで、ファミリー層を中心とした住宅街としての色が濃い地域でもあります。
文花の特徴を見ていきましょう。

町工場と住宅が混在し高齢化も進む地域

文花の地域は、戦後の高度成長期に造られた大規模な公営団地を中心にした住宅街の中に、中小の町工場などが混在する地域です。
明治時代から戦後の復興期まで、文花地区や隣接する立花地域には、現在は有名な企業へと成長を遂げた企業の大規模工場が集まっていました。
ですが、高度成長期になって増産ニーズが生じ、東京の土地では手狭になったため、郊外の広い敷地を求めて工場が移転していき、その跡地に大規模な団地が造られた形です。

その当時は子育て中のファミリーが中心でしたが、年月が経ち、子どもたちは独立し、高齢になった親世代のみが暮らしている住戸が増えました。
そのため、文花地区では高齢者の人口が増える傾向にあります。
特に築年数が古い都営住宅が占める文花一丁目は老年人口の割合が顕著です。
これに対して、近年新たにマンションが建設されている文花二丁目、三丁目エリアは労働人口や子どもの割合が高めになっており、時の変化が人口割合にも表れています。

大学ができたことで新しい風が入る

工業地帯として発展してきた文花ですが、住宅街へと変貌するにつれ、都心部の鉄道網とは切り離された立地もあり、変化が乏しく、高齢化も進んでいる状況でした。
そこに風穴を開けてくれると期待されているのが、文花の地にキャンパスを設置した、情報経営イノベーション専門職大学iUの存在です。
大学と行政が連携し、大学をはじめとする研究機関や産業、住宅の共存するまちづくりを目指しています。

情報経営イノベーション専門職大学iUは、ICTなどの最新技術を用い、経営やビジネスにイノベーションを起こす専門職を養成することを目的にした大学です。
人工知能やロボットが人の代わりに働いてくれる環境を整備できる人材の育成を目指しています。

学生というよりは、ビジネスの実践トレーニングを積んでいるインターン生のような感覚で、未来を開拓し、表現を創生し、社会改革をしていくことを目指しています。
ものづくりのまち、産業の町である墨田区に開かれた大学として、墨田区と連携し、行政や地元企業、金融機関とタッグを組んで、新たなサービスや商品開発などの取り組みも行っていくのが特徴です。

地域や企業が抱える課題を、学生たちがアイディアを提案し、ICTを手段として解決していくケーススタディを行うことや大学の外に出てフィールドワークに取り組んでいます。
学生が外に出て地域に貢献するだけでなく、地域の方もキャンパスを一部利用できるなど、相互交流ができる場所です。
2024年時点で大学と連携している企業は約600社もありますが、今後1,000社を目標にしており、産学連携の拠点として機能することが期待されています。

文花の歴史

文花はどのような歴史をたどってきたのでしょうか。
文花という小粋な珍しい地名が付いた由来も見ていきましょう。

小村井駅の歴史

文花にある最寄駅は、東武亀戸線の小村井駅です。
小村井という地域名の歴史は古く、室町時代の文献に小村江という名称があったと言われています。

小村江は、入江に面した小さな村の意味で、やがて小村井に転じていったようです。
江戸時代の中頃には中居堀が開削されたと推測されており、江戸時代後期の地図を見ると、このエリアには田んぼが広がっています。
さらに、小村井の地名や梅園、香取神社など、現在の文花エリアに残る地名や建造物などがすでに記されています。

工場地帯へ

江戸幕府が倒れ、明治政府が誕生すると富国強兵政策と殖産興業政策が施行され、文花の地は水運に恵まれていたこともあり、紡績工場などが集積します。
さらに、明治37年に東武亀戸線が開通したことで、文花の町はどんどん発展していくことになりました。

戦争で大きな被害を受けますが、工場は再建されます。
もっとも、戦後の高度成長期で工場の増産体制を採るため、より広大な敷地を求めて工場は郊外へと移転していきました。

住宅街としての発展

住宅街としての発展

戦後になると、文花の地には曳舟中学校をはじめ、小学校や青年館などの文教施設が設置されていきます。

そして、昭和37年に住居表示に関する法律が制定され、墨田区の住居表示が変更されることになると、この地域は小村井などではなく、文花と名付けられることになりました。
その由来ですが、当時、この地に文教施設がたくさん作られていたことと古くからある吾嬬神社に祀られている日本武尊の妻であり、身を挺して夫を救った弟橘媛(おとたちばなひめ)にもとづいたものとされています。
文教施設の文と弟橘媛の橘の文字を立花とし、その花の1文字を組み合わせたと伝わっています。

その後、工場の郊外移転が進むと、工場の広大な跡地には昭和40年代に都営住宅が建設されていきました。
文教施設が充実していたこともあり、子育て中のファミリーを中心に多くの人が移住してきました。

現代

都営住宅が建設されて50年あまりが経ち、老朽化した都営住宅の建て替えも進められています。
また、旧曳舟中学校・旧西吾嬬小学校が廃校となった跡地には、墨田区が大学誘致に取り組み、専門大学の誘致に成功しました。
大学生で賑わうという目標を超え、地域のものづくりとの連携を図り、地域の暮らしと教育・文化・産業が調和する新たなまちづくりが推進されています。

文花の交通アクセス

文花には地域名を冠する駅はありませんが、立地により東武亀戸線の小村井駅や京成曳舟駅、都営浅草線・東京メトロ半蔵門線、東武伊勢崎線の押上駅を使うことができます。
東武亀戸線は、亀戸駅と曳舟駅を結ぶわずか5駅の短線です。
亀戸駅まで出れば、JR総武線に乗り換えることができます。

JR総武線を使えば、秋葉原駅や御茶ノ水駅、飯田橋駅や新宿駅、代々木駅などのオフィス街にも出やすいです。
京成曳舟駅からは、成田空港までつながる京成スカイライナーなどにも乗り換えが可能です。
文花から押上駅まで少し歩きますが、押上駅を使うと交通の便は便利になります。
都営浅草線は、日本橋駅や東銀座駅、新橋駅、五反田駅などのオフィス街をはじめ、羽田空港や成田空港にも直通運転している路線なので、ビジネスでの移動に役立ちます。

東京メトロ半蔵門線を使えば、大手町駅や九段下駅、永田町駅や青山一丁目駅、表参道駅や渋谷駅まで行けるので、営業や商談などのビジネス利用に便利です。
東武伊勢崎線は、北千住駅や西新井駅、竹ノ塚駅など東京東部の住宅街、草加駅や春日部駅など埼玉方面のベッドタウンとつながっているので、通勤に便利で、人材採用にも有利に働きます。

文花のオフィス賃料相場

文花の賃料相場の坪単価は9,000円前後~11,000円前後です。
最寄駅や利用できる路線、駅からの距離や周辺環境、オフィスビルの築年数や設備、広さなどによっても変動しますので、確認が必要です。

まとめ

文花には、古くにできた都営住宅があり、高齢化も進んでいましたが、専門大学ができたことで、若い学生たちの姿も増えました。
地域と大学が連携する産学行政と地域のプロジェクトも動き出しています。
起業家を輩出することを目的とした大学でもあり、モチベーションが高い学生を採用するチャンスもあります。

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