堤通は墨田区にある、隅田川沿いのエリアです。
リバーサイドである堤通は、どのような場所なのでしょうか。
特徴や歴史を見ていきましょう。
目次
堤通の特徴
堤通は隅田川に面し、堤防に沿った一帯を指します。
白髭橋で墨田区堤通と台東区橋場や荒川区南千住がつながっており、行政区をつなぐ結節点となるエリアです。
その特徴を見ていきましょう。
隅田川沿いのリバーサイド
堤通は隅田川に沿った一角のエリアです。
隅田川花火大会が開かれることや屋形船や水上バスなどが運行し、観光の名所にもなっている隅田川に面したリバーサイドに位置します。
堤防沿いに緑地が豊富で、堤通の多くのエリアをリバーサイド沿いの公園が占めています。
老舗の和菓子店が多い
堤通は江戸時代に桜が植えられ、当時から桜の名所として人気を集めていました。
花見客をはじめ、散策に訪れる人たちが休憩を取るためやお土産を買うためか、堤通や隣接する向島には、老舗の和菓子店が多くあります。
堤通に住所を持つ、志゛満ん草餅は、創業明治2年(1869年)の創業です。
向島にある、オリジナルの長命寺の桜餅で有名な長命寺桜もちの創業は、江戸時代の享保2年(1717年)となっています。
また、向島名物の言問団子も江戸時代から続く老舗和菓子店です。
いずれの老舗店も、創業当時からの伝統を守り続け、無添加でシンプル、おいしい和菓子を作り続けています。
無添加で、かつ時間が経つと固くなるため、どれもがその日のうちが賞味期限です。
仕事の合間のホッと一息にピッタリなのはもちろん、取引先への手土産にも喜ばれる逸品です。
白鬚橋のたもとにビルや都営住宅がある
堤通には、ランドマーク的な存在の白髭橋があります。
隅田川に架けられた全長168.8mの大きな橋で、竣工は昭和初期と伝統と歴史があります。
戦前に架けられたとは思えないダイナミックで美しい橋です。
白髭橋からは、東京の新たなランドマークである東京スカイツリーが見え、美しい景観を作り出しています。
白髭橋は墨田区と台東区や荒川区とをつなぐ重要な橋であり、その橋のたもとを中心にオフィスビルやマンション、都営住宅などが集まっています。
建物の名称に、リバーサイドの単語を掲げるビルやマンションが多いのが特徴です。
堤通の歴史
堤通界隈には、江戸時代から続く老舗和菓子店が現在も伝統を受け継いで続いているなど、歴史がある地域であることがわかります。
どのような歴史があるのか見ていきましょう。
隅田川神社の歴史
堤通の隅田川に面した場所にあるのが隅田川神社です。
創建年代は不明ですが、源頼朝が治承の頃に関東下向に出た際に暴風雨に遭い、この神社に祈願したという言い伝えが残されています。
これが事実であれば、鎌倉時代にはすでにあったことになります。
創建年代は不明ですが、長きにわたってこの墨田の鎮守と親しまれ、隅田川を渡る船頭や海運業者を中心に厚い信仰を受けてきました。
水神社と呼ばれ、境内に樹木が繁茂していたことから、水神の森とも呼ばれていました。
隅田川神社と改称されたのは明治五年のことです。
隅田川の墨堤と桜
墨堤が築かれたのは、室町時代後期の1500年代中頃と伝えられています。
現在の堤通の一部や墨田にあたる隅田村、堤通の一部や東向島にあたる寺島村、向島の一角にあたる須崎村と小梅村の4つの村にかけて、3kmあまりの堤防が築造されました。
当時は、現在の堤通一丁目にあたる寺島以北は隅田堤、現在の向島五丁目にあたる須崎以南は牛島堤と呼ばれていました。
隅田川の堤防沿いに桜の木が植えられたのは、江戸時代の寛文年間(1661年~1673年)と言われています。
この地には、徳川将軍家の休息所であった隅田川御殿がありました。
御殿の敷地は、現在の堤通二丁目、東白鬚公園付近から、白鬚神社の北側あたりまで広がっていたようです。
桜が植えられたのは、4代将軍の徳川家綱の頃と言われています。
家綱は、現在の茨城県にあたる常陸の国の桜川村より桜の苗木を取り寄せ、隅田川御殿近くにあった旧木母寺付近、現在の堤通二丁目エリアに植えたのが始まりと伝えられています。
江戸時代中期になると、8代将軍の徳川吉宗が護岸強化と、江戸庶民の憩いの場を作るために、堤と桜並木を、向島二丁目の現在の言問橋あたりまで延ばしました。
吉宗は、享保2年(1717年)5月に桜100本、享保11年(1726年)には桜をはじめ、桃や柳の木を合わせて150本を増植したと言われています。
これによって、堤は春になると多くの江戸庶民で賑わう花見の名所となり、桜の季節以外も憩いの場所として親しまれるようになりました。
徳川時代に造られた墨堤通りは湾曲していましたが、関東大震災や東京大空襲などの復興工事で直線道路へと変わり、土の道から舗装道路へと整備されています。
日活向島撮影所があった
堤通には、かつて映画の撮影所がありました。
大正元年(1912年)に当時の国内映画制作会社4社が合併し、日本活動写真フィルム株式会社が誕生します。
現在の日活の前身となる会社で、1913年には現在の堤通二丁目にあった実業家である杉山茂丸氏の別邸の土地を買収して、東京撮影所を開設します。
この撮影所は、グラスステージという総ガラス張り、全天候型のスタジオであったため、東洋一のスタジオとの評価を受けました。
通称日活向島撮影所と呼ばれ、この撮影所で撮影された現代劇は向島映画として人気を博します。
その後、現在でも多くの撮影が行われている京都の撮影所へ統合されることとなり、閉鎖されてしまいました。
閉鎖されるまでの10年の間に約760本もの映画が制作されており、パワフルに映画制作がなされていたことがわかります。
日活向島撮影所の跡地には、現在墨田区立桜堤中学校が建っていますが、工程の一角に近代映画スタジオ発祥の地の看板が立てられ、当時の歴史を語り継いでいます。
堤通の交通アクセス
堤通は、地名を冠する駅はありませんが、立地により東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)の東向島駅、鐘ヶ淵駅、曳舟駅が最寄駅になります。
東武伊勢崎線を使えば、浅草駅にすぐに出られ、東京メトロ銀座線や都営浅草線を使って都心部に出やすいです。
また、浅草駅からは、秋葉原から柏の葉キャンパスなどの千葉県を通り、茨城県のつくば学園までつなぐ、つくばエクスプレスも使えます。
東武伊勢崎線は、北千住駅から西新井駅、竹ノ塚駅など足立区を抜け、草加駅や越谷駅、春日部駅など埼玉方面とも直結しています。
北千住駅は、一大ターミナル駅としてJR常磐線や東京メトロ日比谷線、千代田線などに乗り換えが可能です。
堤通から少し歩くものの、東武伊勢崎線を使えば、都心部のオフィス街への営業や商談をはじめ、つくば学園などへの出張、茨城や千葉、埼玉方面からの通勤にも便利です。
また、堤通へのアクセスとして、京成タウンバス、区内循環バスの地蔵坂停留所なども使えます。
車なら、堤通から白髭橋を渡れば、台東区橋場や荒川区南千住へとすぐに出ることができます。
堤通のオフィス賃料相場
堤通周辺の賃料相場の坪単価は10,000円前後ですが、オフィスビルの設備や広さなどによっても幅があります。
立地や最寄駅、駅からの距離も大きく影響するので確認が必要です。
堤通はリバーサイド沿いに眺望が良く、フロアが広い大型のオフィスビルもありますが、駅からやや離れた場所にあるため、シャトルバスが運行されているケースもあります。
交通の利便性も確かめたうえで検討しましょう。
まとめ
堤通は墨田区にあり、隅田川沿いのリバーサイドです。
春になると堤防沿いの桜並木が美しく、自然に触れられる環境が豊かです。
堤通と台東区や荒川区をつなぐ白髭橋のたもとには、交通利便性を活かした大型オフィスビルやマンションなどが集まっています。
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