大久保というと、新大久保のコリアンタウンをイメージする方も多いでしょう。
しかし、駅としては、大久保駅と新大久保駅に分かれています。
この記事では、新宿区にある大久保の街の特徴や歴史をご紹介していきます。

大久保の特徴

大久保は、新宿駅がある新宿に隣接するエリアで、大久保駅があります。
地域名でいうと、大久保駅周辺は新宿区大久保、コリアンタウンで有名な新大久保駅周辺は新宿区百人町のアドレスとなっています。
大久保と新大久保は、また違った雰囲気を持つ街です。
大久保の特徴を見ていきましょう。

ディープな雰囲気を持つ副都心のお隣エリア

大久保は副都心の新宿に隣接するエリアで、多くの人で賑わう新宿とは少し異なる雰囲気を持ちます。
駅前には、ビジネスホテルやラブホテルなどが建ち並び、東京で人気の歓楽街などもある地域です。
新宿のように、若者や買い物客で賑わう大規模な商業施設も少なく、オフィスビルやマンションが建ち並んでいます。
賑わいのある新宿とはまた違った雰囲気で、仕事に集中しやすく、比較的静かな雰囲気で暮らせる地域です。

学生街

大久保には、早稲田大学の大久保キャンパスがあるほか、IT系をはじめとした専門学校も多い地域です。
インターナショナルな雰囲気がある地域なので、外国語学校や日本語学校なども多く、学生街でもあります。

学生が多い街は、手ごろな価格で、ボリュームあるメニューを楽しめる飲食店も多いのが特徴です。
チェーンの飲食店や居酒屋などをはじめ、定食屋やラーメン店なども多く、安くて美味しいランチを楽しめたり、仕事後の飲み会などを楽しんだりできます。

コリアンタウンが隣接するインターナショナルな地域

コリアンタウンが隣接するインターナショナルな地域

大久保に隣接する新大久保は、コリアンタウンとして有名です。
かつては、焼肉や冷麺など韓国料理を楽しみにやってくる周囲のビジネスパーソンと、韓流ブームでドラマにハマったマダムたちが足を運ぶ場所でした。
しかし近年では、韓国アイドルブームやKポップ人気が高まり、韓国コスメやオルチャンメイク、韓国ファッションなどが注目を集めました。

女性だけでなく、男性も含めた若者が押し寄せるようになったのです。
世代を超えて、多くの観光客や買い物客、食べ歩き目当ての客が集まり、賑わいを見せています。

大久保にも韓国人向けのお店があるほか、新大久保のコリアンタウンで仕事をする方や、大久保の日本語学校に通っている方などが、大久保のマンションやアパートで生活しているケースも多いです。
そのため、インターナショナルな雰囲気が漂っています。

大久保の歴史

大久保はどのような歴史をたどってきたのか、見ていきましょう。

地名や町名の変遷

地域名や現在でも残る町名が生まれたのは、江戸時代に遡ります。
天正19年に西大久保村と東大久保村に分かれ、慶長7年には西大久保村の西部エリアが百人町と命名されました。

江戸幕府が倒れ、明治22年になると町村制度が施行され、分かれていた東大久保村、西大久保村、大久保百人町が合併されて大久保村になりました。
大正元年には、大久保町に改称された一方、大久保百人町エリアが分かれて百人町となります。

昭和7年には淀橋区ができ、東大久保は1丁目~3丁目まで、西大久保は1丁目~4丁目まで、百人町は1丁目~4丁目に区画されました。
戦後の昭和22年3月に、新宿区ができます。

江戸時代からの大久保

江戸時代から明治時代にかけて、大久保から早稲田のエリアは藪や森、田園が広がっており、日中でも人気が少ないエリアでした。
現在のような人出はまったくない、自然と田畑が広がる場所だったのです。
早稲田では稲作が行われていましたが、大久保村は畑作が主流で、野菜などの栽培が盛んでした。

明治時代から大正時代の大久保

日露戦争後に資本主義が発展していき、東京の田畑は市街地化が進んでいきます。
大正3年に、新宿から万世橋まで市電が開通すると、大久保町にも市街化の波が訪れました。

西向天神下の水田が埋め立てられ、田畑は宅地化が進み、大久保町で農業に従事する人がどんどん減っていきます。
田畑を耕さなくなった農民たちは、植木職人として庭造りの仕事に従事したり、種樹の培養の仕事などに携わる人が多く見られたりしました。
培養や植木の仕事が選ばれたのは、実は大久保の地では江戸時代より、つつじの培養を行っていたため、所縁があったからです。
江戸時代から培養されていたつづじは、明治16年頃にはつつじ畑ができあがっていました。

しかし、この地に甲武線が通ることが決まると邪魔になったため、明治36年に日比谷公園につつじを売却したという歴史も残されています。
こうした歴史もあり、大久保が市街地化していった際の地主の多くは、つつじを培養していた花屋であったといわれています。

明治18年2月1日には新宿駅が開業しますが、この時代の新宿は住宅も商店もほとんどない寂しい場所でした。
その後、明治22年4月11日に甲武線が開業し、新大久保駅と大久保駅が開業します。
交通の便がよくなり、駅が集まったこともあり、原料や商品の物流がスムーズになったことから、大久保町や新宿の発展へとつながっていったのです。

関東大震災後

大正12年に関東大震災が発生し、下町エリアは大部分が焼失するなど、大きな被害を受けました。
一方、新宿エリアは倒壊した家屋があったものの、火災の被害を免れたので、大きな被害を受けずに済みました。
家を失った人たちや、山の手は地震に強いと考えた人たちが、東京以西へと移住してくるようになります。
新宿エリアでは、移住してきた人たちをターゲットにし、街がどんどん成長していき、歓楽街などもできあがりました。
空襲で大きな被害を受けたものの、地域住民の努力もあって戦後復興が早く、住宅地や商業地区として成長を遂げていきます。

大久保の交通アクセス

大久保の交通アクセス

大久保には大久保駅があり、JR総武線を利用することが可能です。

総武線は東京と千葉方面を結ぶ路線で、秋葉原駅や東京駅、御茶ノ水駅や飯田橋駅、新宿駅をはじめ、吉祥寺駅や立川駅、三鷹駅や八王子駅など東京西部にもアクセスできます。
両国駅や錦糸町駅、新小岩駅などを超えて、西船橋駅や千葉駅など千葉県の県庁所在地や、東京のベッドタウンである地域ともつながっています。

営業や商談、出張などのビジネスシーンに役立つだけでなく、通勤にも便利です。
通勤に便利な路線にオフィスがあると、人材採用にも有利に働きます。
立地によっては、新大久保駅や新宿駅にもすぐです。

新大久保駅からはJR山手線が利用できるので、都内のアクセスは抜群といえます。
新宿駅は、日本随一の主要ターミナル駅です。
都内をはじめ、埼玉や神奈川方面、山梨方面、成田空港への直通列車が走っていたり、全国各地へつながる高速バスのターミナルもあったりと、交通アクセスに優れています。

大久保のオフィス賃料相場

大久保の賃料相場の坪単価は、20坪~30坪のオフィスで24,000円前後、50坪~100坪のオフィスで23,000円前後、100坪~200坪で23,000円前後、200坪以上のオフィスで24,000円前後となっています。
立地や最寄り駅や使える路線、駅からの距離、オフィスビルの築年数や設備、面積や形状によっても変動するので、確認が必要です。

まとめ

大久保は新宿副都心に隣接し、交通の便も便利なエリアです。
通勤もしやすく、人材採用にも有利に働きます。
営業や商談、出張などにも出やすいので、アクティブに仕事ができるのが便利です。
新大久保の韓国文化も楽しめ、ランチや仕事後のディナーや飲み会に韓国料理や焼肉が楽しめるなど、仕事以外の楽しみも広がります。

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