新宿区は高層ビルがそびえる副都心をはじめ、日本有数の繁華街があるなど、国内外から多くの人が集まる街です。
どのような特徴があるのか、発展の歴史も含めてご紹介します。

新宿区の特徴

現在の新宿区はどのような街なのか、その特徴を見ていきましょう。

東京都の中心地

新宿区には東京都庁があり、東京都の県庁所在地になっています。東京都庁はツインタワーが印象的な超高層ビルで、新宿副都心の一大シンボルとして君臨しています。展望室や職員食堂が一般の方にも開放されており、観光スポットの一つとしても人気です。

副都心が形成されている街

新宿は、東京都庁が有楽町から移転してくる前から高層ビルが建設され、大手企業の本社ビルをはじめ、ホテルができるなど副都心を形成していました。東京都庁が移転してきたことで、新たなランドマークができ、ビジネスと商業の街として成長を遂げています。

商業地区

新宿区は、日本有数のターミナル駅である新宿駅周辺を中心に、商業地区が形成されています。

老舗の大型百貨店をはじめ、国内外のブランド店の路面店やブティック、インテリア雑貨店や飲食店などが集まるほか、駅ビルや駅地下のショッピング街も充実しています。新宿駅周辺には、大型の家電量販店も集結し、多くの買い物客が集まるエリアです。

夜眠らない街

夜眠らない街

新宿区には、国内外から観光客が訪れる歌舞伎町もあります。
歌舞伎町は夜眠らない街として有名な歓楽街でもあり、居酒屋やキャバクラ、ホストクラブなどが集まっています。近年では、東急歌舞伎町タワーやハナミチ東京歌舞伎町など、大型複合施設も開業しました。

これまでは、お酒を飲みに行く歓楽街として栄え、危険な街として敬遠されることもありました。しかし、安心して遊びに来られる施設ができたことで、新たな観光客の呼び込みを目指しています。

日本の食文化や伝統芸能などに触れられるゾーンもあり、海外観光客が楽しめるスポットとしても話題を集めています。

新宿御苑がある街

新宿御苑がある街

新宿区は、高層ビル群や商業施設が多い大都心のイメージが強いですが、広大な面積を持つ新宿御苑がある街でもあります。

新宿御苑には四季折々の花が咲き誇り、園内の散策をしたり、休憩をしたり、園内のレストランなどで食事を取ることも可能です。大都心の中にある都会のオアシスとして、親しまれています。

新宿区の歴史

では、新宿区はどのような歴史を経て、発展してきたのかを見ていきましょう。

新宿の名称の由来

江戸時代に徳川家康が、江戸への物流や人流の流れを作るために、五街道というインフラを整備しました。

1602年(慶長7年)に開設された五街道の一つが、江戸と下諏訪を結ぶ甲州街道です。当時は車などがなく、人力で長い道のりを歩いてきたことから、街道沿いには宿場が設けられました。

甲州街道には当初、日本橋を出発した最初の宿として、高井戸宿が設けられていました。しかし、日本橋から約4里あり、距離が遠かったことから、その間に新しく内藤新宿という宿場が設けられます。

内藤は、この地を内藤家が治めていたことに由来します。また新しくできた宿場なので、新宿という名称が付けられました。この宿場の名称が、現在の新宿区における名称の由来となっています。

内藤新宿試験場が新宿御苑へ

江戸時代に幕府から所領を得て、この地を治めていた内藤家は、明治時代になると政府に土地を上納します。

この地に明治政府は内藤新宿試験場を整備し、欧米型の近代的な農業を導入するための試験を行っていました。明治39(1906年)になると、この地が新宿御苑へと改称されます。戦後になると、国民公園として運営されることが決まり、昭和24年(1949年)に、国民公園新宿御苑として一般開放されることになりました。

一大ターミナル駅の形成の歴史

明治18年(1885年)に新宿駅が開業し、鉄道が通ることになりました。当時はまだ乗降客も少なく、小さな駅でした。

大正4年(1915年)には、現在の京王電鉄にあたる、京王電気軌道の新宿駅も開業します。しかし、大正12年(1923年)に関東大震災が起こり、東京の街が焼失してしまうのです。

震災復興として、家を失った人たちが住むために、武蔵野台地エリアで宅地開発が進められていきます。関東大震災で大きな被害を受け、家を失った浅草や両国などの下町の住民たちが、地盤が安定している東京西部へと移り住むようになると、新宿駅を利用する人がどんどん増えていきました。

さらに、震災後の大正14年(1925年)に、鉄筋コンクリート2階建ての駅舎が完成すると、新宿駅前の市街地化も進行していきます。

昭和2年(1927年)には、1日あたりの乗降客数が日本一となるなど、昭和初期にして新宿駅は日本有数の駅になっていました。新宿駅の東口には一大繁華街が形成されていき、東京郊外から列車で通勤してくる人たちが買い物や飲食を楽しみ、経済活動も活発化していきました。

新宿の繁華街形成の歴史

第二次世界大戦による東京大空襲で、東京の街は焼け野原と化しました。

しかし、戦後すぐの新宿駅周辺には、戦後の混乱の中で人々の生活を支える、闇市や露店商が軒を連ねていきます。政府などの規制もあり、闇市や露店は整理されていきましたが、その名残で形成されていったのが、新宿ゴールデン街や新宿西口思い出横丁、新宿センター街です。

高度成長期になると、新宿ゴールデン街の飲食店は、作家や映画監督といった文化人が集まる新宿文化の中心地になります。現在でも、2,000坪ほどの狭い区画に、280軒あまりの木造低層の昔ながらの風情を残す飲食店が軒を連ねています。

副都心の歴史

西新宿を副都心とする構想が発案されたのは、高度成長期に入る昭和35年(1960年)です。

新宿に最初に完成した高層ビルは、昭和46年(1971年)に完成した京王プラザホテルです。完成した当時は、日本で最も高いビルでした。さらに建築技術の進歩により、より高いビルの建築が可能になると、西新宿には続々と高層ビルが建設されていきます。

また、有楽町にあった東京都庁も、副都心計画の一環として、昭和60年(1985年)に西新宿への移転が決まりました。世界的に有名な建築家である丹下健三氏が設計者となり、高さ243mを誇る東京都庁のツインタワーが、平成3年(1991年)に竣工します。
こちらも完成した当時は、国内で最も高いビルとなりました。

新たなランドマークが完成し、東京都の主要機能が運営されるようになったこともあり、副都心はますます発展を遂げていきます。

新宿区の交通アクセス

新宿区の交通アクセス

新宿区には、日本有数のターミナル駅である新宿駅があり、山手線や埼京線、新宿湘南ライン、中央線などのJR線をはじめ、京王線、小田急線、西武線などの私鉄も走っています。

東京メトロ丸の内線や副都心線、都営大江戸線や都営新宿線などの地下鉄網もあり、交通アクセスは便利です。

新宿駅には、全国各地へと向かう高速バスのターミナルもあり、連日連夜、多くの旅行客や帰省客、出張客や海外からの観光客が集まります。新宿駅から成田空港へ直通する列車も出るなど、海外へのアクセスもスムーズです。

新宿区のオフィス賃料相場

坪単価は、15,000円前後~27,000円前後です。
立地や駅からの距離、築年数や設備などによって差があるため、確認が必要です。

まとめ

新宿区は東京都庁をはじめ、高層ビル群が集積する副都心が形成されています。歌舞伎町など特徴ある夜の街をはじめ、商業地区も形成されており、賑わいのある地域です。

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