月島というと、行ったことはない方でも、もんじゃの街として知っているでしょう。
テレビ番組などにもしばしば登場する、もんじゃで有名な月島の街ですが、どのような街なのでしょうか。
この記事では、月島の特徴や現代までの歴史をご紹介します。

月島の特徴

月島というと、全国的にもんじゃの街として知られています。
現在では外国人観光客も増え、世界的にもんじゃの街、下町風情が楽しめる街として観光スポットの一つになっています。
では、実際にはどのようなエリアなのか、より詳しく見ていきましょう。

もんじゃの街

月島のメイン商店街である西仲通り商店街は、月島もんじゃストリートと呼ばれています。
約400mある商店街には145ほどの店舗が、そのうち32軒がもんじゃのお店です。
商店街の周辺にももんじゃのお店が多く、月島エリアのもんじゃ店は80軒ほどと言われます。
国内外から観光客や修学旅行生などが訪れることもあり、新たにお店を出す人も少なくありません。

下町風情が残る住宅街

下町風情が残る住宅街

もんじゃストリートがある商店街は、近代化したビルなどではなく、昔ながらの長屋のような構造になっています。
月島界隈は路地も多く、木造の長屋が今も残されており、下町情緒が残されているのが特徴的です。

大通り沿いにはマンションやオフィスビルも

月島は下町風情が漂いますが、住所は大都心の東京都中央区です。
大通り沿いを中心にマンションやオフィスビルなどのRC構造の建物も建っており、古い街並みだけで構成されているわけではありません。

リバーサイド

月島は隅田川沿いにあり、勝どき橋を隔てて、反対側に渡れば築地、その先に銀座が広がるエリアです。
隅田川の堤防沿いを散策したり、ジョギングしたり、勝どき橋から豊洲方面や東京湾に広がる美しい夜景を眺めたりもできます。

月島の歴史

月島はどのような歴史を持っているのでしょうか。
もんじゃで有名になった背景なども見ていきましょう。

埋立地

月島は、島という名前が付いていますが、東京湾へとつながる隅田川の河口に作られた埋立地、つまり人工島です。
明治時代に隅田川河口に大東京港を建設する計画が立てられ、明治25(1892)年に築かれた埋立地の第1号が月島です。
もともとは、新たに人工で造られたことから築島と名付けられていました。
ですが、形が三日月の形をしていたことから、月島と正式に名前が付いたと言われています。

工業地帯としての発達

月島の周囲には、江戸時代に埋め立てられた佃島や石川島もありました。
やがて、勝どき橋や相生橋が開通すると、埋立地域一帯が工業地帯として発展していきます。
昭和初期には戦争に突入する時期でもあり、軍需産業で栄えました。
その後、大型の造船所を中心に石川島に石川島播磨重工が成長を遂げていきます。
すると、月島は石川島造船所の社員住宅を中心に、住宅街が形成されていきます。
やがて高度成長期が終わり、造船不況が起こると、工場は閉鎖されました。
月島にあった社宅を中心に中高層のマンションが建つなど、都市開発も行われています。
一方、月島は関東大震災で大きな被害を免れ、さらに第二次世界大戦の戦火にも大きな被害を免れた歴史を持ちます。
そのため、古い長屋が残り、月島の中心を貫く西仲通り商店街やその周辺地域の下町が昔ながらの形で残されているのです。
西仲通り商店街は所狭しと店が建ち並び、もんじゃ焼きを中心とした飲食店、八百屋や和菓子店などが残っています。

もんじゃの歴史

もんじゃは東京エリアの独特な食文化です。
関西ではお好み焼きが好まれますが、もんじゃは生地が緩く、食事というよりは軽食や駄菓子として食べられてきました。
その歴史は駄菓子屋から始まったと言われています。
子どもたちが駄菓子屋に集まり、小麦粉と水を溶いたものを鉄板に垂らし、文字を書く練習をしていたと言います。
文字焼きからもんじゃになったというエピソードが残されているのです。
その後、もんじゃに野菜や肉、今ではチーズや餅、明太子などいろいろなものが入れられることやあんこやフルーツが入ったスイーツもんじゃなども生み出されるようになり、今日のもんじゃ人気に至ります。
お店ごとにさまざまなもんじゃを楽しむことができます。

昔ながらの街並みと高層マンション

関東大震災や第二次世界大戦による被災を逃れて、残された木造長屋を中心とする月島の下町風情ですが、マンションも少なくありません。
マンションが建設されるようになったのは、造船不況により、昭和53年に石川島播磨重工業の工場が閉鎖されたことと昭和末期に地下鉄月島駅が開通したこと、そしてバブル景気がキッカケと言われています。
工場地帯であった当時は、造船所に加え、大型倉庫や中小の町工場などが集結していましたが、それらが続々と閉鎖、売却されていきました。
その跡地に建てられたのが、賃貸マンションや分譲マンションです。
バブル景気で人々の懐具合が良くなり、都心のマンションに人気が高まったのも背景にあります。
また、月島に多く存在していた建築基準法の接道基準を満たさない狭い路地にあった長屋は、個別に建て替えをする条件を満たさない物件が多く見られました。
住民の高齢化が進んでいた長屋を中心に、私有地の路地と一体化して買い取られ、そのエリア一帯が高層マンションへと建て替えられた地域も存在します。
そうした中でも、西仲通り商店街は商店が営まれていたこともあり、残ることができました。
今では、もんじゃストリートとして地域興しのためになくてはならない存在になっています。
とはいえ、老朽化した店舗や長屋は防災の観点からは問題もあります。
そこで、月島独自の地区計画が作成され、路地沿いの長屋が個別に建て替えできるよう、新たな街づくりの計画が進められています。

月島の交通アクセス

月島には、東京メトロ有楽町線と都営地下鉄大江戸線の駅があるので便利です。
有楽町線を使えば、銀座や有楽町、飯田橋や池袋までダイレクトにアクセスできます。
有楽町線は千葉方面と埼玉方面までつながっている路線です。
一方、都営大江戸線は副都心の新宿までつながっており、汐留や六本木、青山一丁目や代々木などにもダイレクトアクセスができるので、ビジネスシーンでも活用できます。
東京メトロと都営地下鉄の2路線が通っており、さまざまな路線と乗り換えもしやすいことを考えれば、月島の交通アクセスは利便性が高いと言えます。

月島のオフィス賃料相場

月島のオフィス賃料の坪単価は10,000円~13,000円前後です。
大通り沿いを中心にオフィスビルがあります。
飲食店の経営なら、もんじゃストリート沿いの長屋なども選択肢にのぼります。
立地や築年数、設備などによって賃料は変動しますので、確認が必要です。

まとめ

月島は、明治時代の東京の埋立地第一号として整備された地域です。
近隣の工場地帯で働く人たちの住宅地として発展してきた歴史を持ちます。
関東大震災や第二次世界大戦の被災を逃れることができたため、古くから残る木造長屋もまだ残っているのです。
長屋が残る西仲通り商店街は、数多くのもんじゃ店が連なり、もんじゃストリートとして全国的にも知名度を高め、今では海外からの観光客も訪れる人気スポットになっています。
月島は、東京メトロ有楽町線と都営大江戸線が通っているので、交通アクセスも便利で、ビジネスシーンでも利便性は高い地域です。

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